瀬戸内 ジャクソン フェルナンド 『 100年のぼやき 』 -6ページ目

瀬戸内 ジャクソン フェルナンド 『 100年のぼやき 』

生きることも死ぬこともままならず、しみったれた暮らしの中で日々懊悩する憂いの放浪者。
卑屈なまでに自らを蔑む繰り言は、もはや美しくさえある。   

いつだったか自分という人間が偽物と分かった時は、やはり一度はそれなりに落胆もしたのでしょうが、確か当時は破天荒なパートナーにひどく翻弄されていた最中にありましたので、次の瞬間には己のアイデンティティがどうのこうのなんてことよりも、パートナーのエキセントリックな言動の方が私には切実な問題だったのです。
そういったことからも、私の自己の追求に同伴するそれまでの懊悩なんてものが、たかだか女一人の嘘の前にけし飛んでしまうくらいの空疎な一人芝居であったことが伺えます。
仮に私自身をコンピュータにかけたとて、せいぜい5、6行のIF文でお前はお前ですらない「偽」と判定され、それはもうはらわたの隅々まで清々することでしょう。
如何にも、私は地下下水道の澱みにわいた蛆虫。
魚の餌にすらなれやしないのです。