2024/3/6「愛玩動物の避妊」 | みーちゃんの、認知行動療法的ワンバース

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日記のような、違うような。

 

 

 

目覚め比較的良く、少しずつ部屋を片付け、頑張ってルーチンを行うようにする。

 

 

 

夕方になると、自分でも落ち着いてきているのが分かる。明らかに思考力も回復し、気分がスーっとする。少しずつ、仕事、仕事。月月火水木金金。仕事、仕事。

 

 

 

なんか、ペットに対して、去勢や避妊手術をした、と我々は簡単に言ってしまうよね。理屈は分かるし、文句も無い。だけれども、これを人間に置き換えたら、と思うと、とても複雑な気持ちになる。そんなこと言っていたら、畜肉や鶏卵は食べられなくなってしまうけれども。

 

 

 

我々人間もその他の生物も、生物として、唯一の目的があるとすれば、子孫を残すことだろう。それなのにも関わらず、人間の都合でそれを許されない動物達。ただ、動物を人間よりも大事だとは思っていない。これを人間哲学、人生哲学に当てはめてみたいのだ。

 

 

 

子供を持たずに一生を終える人も多い。ちょっと待って。だからあえて他人の事はどうでもいいとして、自分はどうするのかということを考えてみよう。俺は、俺の場合は、子供は無理に持たなくてもいいかな、と思っている。そういう意味では、俺は生物としては適者生存に勝てなかった個体ということになるが、人間の場合には、もう一つの役割がある。

 

 

 

それは、ミームを残すことだ(すいません、僕は科学者ではないので、あくまで広義としての、ミームとします)。つまり、次の世代に継承されるようなアイディアを残すことだ。そうすれば、それは遺伝子が適者生存で進化の過程を辿るように、多くの人間の中に脈々と刻まれていく。それでいい。もし機会があれば、子供を作ることもやぶさかではないが、そんなアイディア(この言葉が言い換えとしては良いような気がする)を残すことを、生涯の仕事としたい。もしできなくても良いが、挑戦はしていたい。それが、唯一設定可能と思われる、人生の意味ではないだろうか。さあ、何を残そう。

 

 

 

誕生日おめでとうメールが、妹から届いた。今日は久々に、しっかりと眠りにつく。体調は良くなってきた。