私は自分のことを飽きっぽいと

思って過ごしてきました。

長く続けることに苦手意識がありました。

 

 

でも、本当はそうじゃなく

飽きっぽいのではなく

ずっと続けたいことが

見つかってなかっただけなのでは?

 

と最近、そんなことを思います。

 

 

私に限らず、

飽きっぽい人は

実はそうかもしれない、笑

 

 

飽きっぽいという行為は

実は、ずっと探し続けている行為

と、解釈するもよし。

 

 

 

絶対に「これ」と言えるような

やりたいことがなく

沸き起こることもなく

それがある人が羨ましく思うこともあったし

見つけたと思ったら 違った・・・

なんてこともある

 

 

ワクワクしたり

感情に近いものだと

うまくいかなくてw

 

 

 

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決断は肚の声でするというけど

やりたいことじゃなくて、やること、

使命みたいなものは

肚から湧いてくるのか・・・って

そんな体験を最近しています。

 

 

 

やりがいや生きがいは

無意識でもやってしまっていたこと

やり続けてしまうことに着目する。

 

 

50歳にもなると一貫してきた

「それ」がみつかる。

 

あるいは、なぜか知らんけど

縁があるとか

 

先祖代々のカルマなんかもある

追体験の中にあるとか。

 

 

 

とにかくそれは

自分の外側じゃなくて

内側にあることだけは確か。

 

 

 

で、大事なことだけど

見つからないときって

見つける前に「捨てる」という作法が

必須なことが多いです。

 

 

あと自分の構造を知ることも

ヒントの糸口になる。