テーゼとアンチテーゼという矛盾と反証によってものごとを捉えようとするヘーゲル哲学は、弁証法によってものごとの本質を捉えようとする本質主義というイデオロギーを産出しましたが、本質主義は社会の矛盾や問題点を説明できても、解決できないじゃないかと若きカール・マルクスは批判的に新たな言説を構築しようとしました。それがマルクス主義だと言っていいだろうと私は考えています。(せとけん)

 

◇カール・マルクスとマルクス主義って?~再評価してみよう!

 

 

●万国の労働者よ、団結せよ!

 

万国の労働者よ、団結せよ!(マルクス&エンゲルス1848)

あまりにも有名なこの力強い言葉は、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが1848年に出版した「共産党宣言」(コミュニスト・マニフェスト)の締めくくりの章句です。そして、ロンドンにあるマルクスの墓石には「Workers of All land, unite」と英文で刻まれています。

 

マルクスはドイツ生まれのユダヤ人でしたが、実業家であったマルクスの実父が商売上の理由からキリスト教に改宗したため、マルクスもコンバート(改宗者)であったようです。もともとヘーゲル哲学を修め、大学で教鞭を取っていましたが、ものごとをいくら客観的に分析してその本質を明らかにしても、自分の生活を含めて、社会に散見される貧困など様々な問題は事実として認識されるばかりで、放置され、解決されていきません。

 

●宗教は民衆のアヘンである?

 

また、哲学と同様、マルクスにとって宗教も人々の問題を根本的に解決しないと考えていたようです。ソ連・ロシアの作家、劇作家、歴史家であるソルジェニーツィンは、「神への憎悪がマルクス主義の原動力である」と述べたり、マルクス自身も「宗教は民衆のアヘンである」と述べたと言われていて、マルクスは反宗教主義者であると烙印を押されてきました。

 

しかし、ここには巧みな反マルクス主義、反共産主義の言説や右派ポピュリズムのプロパガンダが影響していると私は考えています。「宗教は民衆のアヘンである」という言説は、マルクスの著書『ヘーゲル法哲学批判』に記された次の言説を短縮したものです。

「宗教は抑圧が生み出した溜息であり、心ない世の中の心であり、精気を欠いた状況の精気である。それは民衆のアヘンである。」(マルクス1844/せとけん訳)

つまり、マルクスの言う「アヘン」とは、人々を蝕む毒物という意味ではなく、「人々の痛みを癒す特効薬」だという文脈で表現されているのです。

 

言い換えれば、マルクスは、「宗教がなければ、人々は抑圧に苦しみ、心ない世の中に傷つき、精気を取り戻すこともできず、痛みをその場かぎりとはいえ、癒すこともできない。」と述べているのであって、この言説に「神への憎悪」や「反宗教主義」を読み取ることは出来ません。ただし、「アヘンで痛みを紛らす」のではなく、「社会の問題を現実的に解決する」ことの必要をマルクスは考えたに違いありません。その方法が、彼の時代にあっては「革命」であったのだろうと私は考えています。

 

●持たざる人々への愛

 

ブルジョワ革命は、土地や領民までも保有していた王侯貴族を倒すことで、デモクラシーが開化しました。プロレタリア革命は、土地も生産手段もなにも保有していない人々が、自分たちの労働力を切り売りするしかなかった労働者が立ち上がることにより、生産手段を労働者が手に入れるために「団結せよ!」とマルクスが労働者を鼓舞し、呼びかけた革命であったのだと総括することができるだろうと思います。

 

これを「暴力革命」と断じ、「暴力革命」こそが「共産主義」の目的であるというステレオタイプは、右派、左派、双方に蔓延してきたのだと私は分析しています。右派は「マルクス主義を暴力革命を扇動する危険思想だ」とレッド・パージ(赤狩り)キャンペーンを展開し、極左は「暴力革命以外に人民の解放はない」と断じ、テロに走り、内部抗争=内ゲバを繰り返して、ますます彼らの活動を暴力的に推進した不幸な歴史がありました。

 

しかし、カール・マルクスの人格の根底には、「持たざる人々への愛」(アフェクション)があったことを今、私たちは再評価しなければならないと思います。

 

●マルクスの人間愛は革命ではなく福祉国家に体現された

 

産業革命も高度な工業化も資本主義も成立していない地域でマルクス主義が評価され、「革命」と称する政権抗争(ヘゲモニー抗争)が行われたとしたら、そもそも王侯貴族もブルジョワも存在しない国家で、マルクス主義や共産党革命は何を相手に戦うのでしょうか。果たすべき経済格差の是正と富の再分配は、十分な富の蓄積のない国家において、人々を豊かになどしないはずだと私は考えます。

 

それよりもむしろ、高度に経済発展を遂げた先進資本主義国においてこそ、マルクス主義は結実していると私はマルクスを再評価しています。家庭環境がどうあれ、だれもが幸せに、だれもが公平平等に教育も医療も福祉も享受できる世の中になったのは、「持たざる人々」が自らの可能性を開化させ、自己実現しながら、ある程度自由な生活を謳歌できるのは、マルクスの言説が世界に幅広く浸透したお陰なのだと私は分析しています。

 

西欧の福祉国家が何よりもそのことを如実に体現しています。

 

マルクスの人間愛こそが、現在にいたる「左派ポピュリズム」の源泉であることを、第3弾となるこの記事の締めくくりとして、指摘しておこうと思います。

 

●階級闘争なきマルクス主義の誕生~ポスト・マルクス主義へ(次回予告)

 

カール・マルクスは神を憎んでいたわけでも、民衆蜂起によって暴力を推奨したわけでもありません。持たざる人々が、立場の弱い大多数の人々が、巨大な資産や生産手段を独占する少数者の「自由」の名の下で差別、抑圧、搾取されない言説を立て上げていくこと。このことこそが、マルクスの言説の力であり、左派ポピュリズムの明確な方向性なのだと思います。

 

次回は、ラクラウとムフが取り組んだポスト・マルクス主義について検証していきたいと思います。

 

追伸 マルクスの墓碑の言葉が「プロレタリア」から「労働者」に変わったのは、その後20世紀に入って、王侯貴族、ブルジョワ、プロレタリアといったいわゆる「階級」が薄まり、消滅したからだと私は理解しています。

ポスト・マルクス主義は、そのような「階級」のない世界に、マルクス主義の「階級闘争」がどのようにかたちを変えて受け継がれてきたのか、それがやがてこのブログタイトルである「左派ポピュリズム」に繋がっていくのかといった結節点にあたる言説(政治理論)です。

 

ポリティカルセオリスト

瀬戸健一郎

Kenichiro Seto