これから何回かに分けて、『左派ポピュリズムのすすめ』というタイトルでブログ記事を連載していこうと思います。少し政治学講義っぽくなってしまうかもしれませんが、手前からひとつずつ簡単に論じていきますので、よろしくお願い申し上げます。(せとけん)

 

◇テーゼとアンチテーゼってなに?

 

日本人があまり得意としない「議論」は、ものごとを言葉で表現し、対話をすすめていくための「言説」をお互いに立てていくことで成立します。あることがらを言葉で言い表した時、その言葉や文脈が言説になるわけです。例えば、『自由は人々を解放する』という言説を立てると、このことはこのこととして、何の矛盾もなく意味として成立しているように思えます。しかし、『自由は人々の格差を拡げる』とか、『自由は人々の従属関係をも認める』などと、正反対とも言える言説を立てることも可能です。

 

『自由は人々を解放する』という言説に対して、『自由は人々の格差を拡げる』、『自由や人々の主従関係をつくる』という言説は矛盾しています。これをテーゼとアンチテーゼと言います。ある言説を立てる。それがそれだけならば、テーゼとして何の問題もなく存在しているのですが、その「言説」=テーゼに「反する言説」=アンチテーゼを立てると『矛盾』が生じる。このことが「議論」の大前提であり、テーゼとアンチテーゼの積み重ねの中でより本質的な『なにか』が研ぎ澄まされていく。「議論」や「ディベート」の意義はここにあります。

 

テーゼとアンチテーゼは、このような言説、対話、議論の「術」(すべ)として哲学者ヘーゲルが『弁証法』として定式化しました。

 

ヘーゲルは、『あらゆるものはそのうちに矛盾をもつ』(ヘーゲル:論理学)と述べています。実際に目の前に目に見える形で存在しているものを「存在」として認める『実存主義』に対して、『本質主義』は、自らが否定されることで、その存在を確認するといった思考メカニズムを伴うので、『哲学』の分野でも、『実存主義』と『本質主義』が『矛盾』しているという意味においては、ヘーゲルのこの言説は真実であると言えるかもしれません。

 

≪左派ポピュリズムの視点≫

・自由は人々を解放するものである。

・自由が格差を拡げてはならない。

・自由が人々の従属関係を認めてはならない。

 

≪右派ポピュリズムの視点≫

・自由は人々を解放するものである。

・自由の結果、格差が生じる。

・個人の自由意思によって従属関係が生じる。

 

(つづく)

 

ポリティカルセオリスト

瀬戸健一郎
Kenichiro Seto