ー瀬戸健一郎(せとけん)Twitter-



私がTwitterでコメントした上記の記事は、問題の本質をよく分析された記事です。是非、ご一読下さい。

ただし、私が思う結論は筆者である岸先生とは真逆であることをお伝え致したく、以上のようなツイートをアップさせて頂きました。詳しくはこのブログ記事をご一読下さると幸いです。

安倍晋三氏を総理の座に付けておきたい人たちが居る。このことを私たちはそろそろ意識し始めるべきではないでしょうか。

ー瀬戸健一郎(せとけん)



(1)保守政権は小さな政府を標榜し増税に反対するべきもの
 
 保守政権は小さな政府を標榜し、増税に反対すべき勢力でなければ国民は保守政党を保守政権の担い手として支持できない。しかし、自民党は消費税増税を断行し、著しく景気を後退させています。増税の方向性も、逆進性の高い消費税を引き上げ、法人税を下げるという手法で、一応、企業や富裕層に配慮したかたちで「増税」だけを実行し、その果実が福祉目的に投下されることがないので、左派もしくはリベラル政権の増税策とはまったく異なる増税効果となり、このこと自体がまやかしである。

(2)日本の保守政権は日米同盟を基軸に外交政策をとるべきもの

 自由民主党が誕生した1955年に至るまで、麻生太郎副総理の祖父である吉田茂氏や安倍晋三総理の祖父である岸信介氏は、GHQによる占領から日本国の独立を実現させるために、米国との部分講和という形で、日米同盟を基軸とするこの国のあり方を決定してきたのだから、日本の保守本流とは、日米同盟に特化した外交政策をとるべきものなのである。しかし、安倍総理を政権に留まらせたい勢力はどうも、この方針とは関係なく、政権維持のためであれば、「増税もあり」、「親露もあり」、「親中もあり」となっている。実は安倍政権の外交政策はこの点においてもブレているため、トランプ政権の過度な要求にも応えざるを得ず、イージスアショアの導入など、防衛費5兆円の壁をいとも簡単に超え、安保法制も実現。真の主権国家として、目指すべき「日米地位協定の改定」などは議論もできない。
 結果的に日本の独立自尊、独立国としての地位も保全されていないが、その安倍総理を支える人々は憲法改正で自衛隊を明記しさえすれば、それが日本国の独立であるかの幻想に憑りつかれているいるように思われる。

(3)ラディカル・デモクラシーとディベート文化の開化が必要

 デモクラシーを民主主義と翻訳した明治時代の日本では長い歴史の中で厳格な士農工商という身分制度の中で政治は士族が担ってきたため、それを逆転させる政治思想は存在すらしていなかった。だから民主主義という訳語にはその時代を反映させた意味があったのだ。しかし、デモクラシーとはもともと、「Demos Kratia」(多数による支配)というギリシャ語が原語だと言われているため、「みんなで決める」という精神がその根底にあります。
 ところが、みんなで決めることは容易なことではありません。意見や利害の一致がないところでは、そこに対立が生まれます。この対立こそが、マルクス主義で言えば、「階級闘争」(struggle)に集約され、現代の政治理論では「対立=敵対」(antagonism)という概念が意味するところです。
 日本人は元来、聖徳太子が記したとされる「以和為貴」(和を以って貴しと為す)という合議型(consensual)の政策文化を決定付けてきたために、西欧における「闘争」や「対立」の概念が消えてしまったと言って過言ではないかもしれません。
 しかし、真の相互理解や、「合議」とは、欧米社会で見られるようなディベートという手法によって、またはラディカルな民主的な討議によってのみ達成できるものであるので、それらの討議(闘議)から逃げていたのでは、いわゆる既存のポピュリズムにおける権威主義がまかり通り、真のデモクラシーは達成されないことになってしまいます。

提言~日本のコンセンサス社会をラディカルに活性化すべき時が来た!

以上の3点から、現在の日本の政治は、せっかく明治期に英国の優れた議会制度を取り入れながら、戦後、地方自治制度を含む米国の優れたデモクラシーに学びながら、「討議」を恐れて、「討議せず」、「権威」に「忖度」して決定に参加せず、誰も決定に責任を負わないといった「デモクラシーの真空状態」が蔓延してしまったように私は思います。

≪与野党の立ち位置を明確に決めるべきである≫

今一度、与野党がしっかりとした「立ち位置」を決め、それぞれの領域を侵すことなく、「討議」に真剣に向き合い、「政権」は国民がその時々の国民のニーズに従って選択すべきものであると割り切り、「政権維持」のために訳の分からない意思決定を繰り返していく愚かさは政権政党が国民の信頼を裏切る行為であることを自覚すべきだと私はこのことに憤怒の念を覚えます。
野党の立場から言えば、本来、増税をして、国民福祉を向上させるという本来の左派リベラル政党が掲げるべき政策を世界から見れば極右にさえ分類され得る自民党に奪われてしまっているのですから、苦しい覇権(ヘゲモニー)争いにはなるのですが、ブレずにその立場を明確にして、国会活動に邁進して頂きたいと思います。


≪野党は「保守」を標榜する幻想を捨てるべきべきである≫

しかし問題なのは、玉木代表をはじめとする国民民主党の多くの代議士が民主党時代に枝野氏らを左派と決めつけ、左派切りをして、自分たちは「第二自民党」だ、「保守」だと強調しすぎたために、実は国民から支持を失ったのだということに反省も決意や覚悟もないことだと私は失礼ながら感じています。

このことの総括が為されない限り、立憲民主党の枝野代表は国民民主党と合流することはないのではないでしょうか。


≪野党は第二自民党ではなく、「リベラル政党」として結集すべきである≫

国民は第二自民党を欲してはいません。自民党が保守ならば、健全なリベラル勢力を国民は自らの政権選択の選択肢として、求めているのだと思うのです。
立憲民主党と国民民主党の合流は、大衆迎合(ポピュリズム)に流されて、「保守勢力」として自民党に対峙することではなく、正に日本初の一大「リベラル政党」の誕生という形で実現されるべきであり、真剣な国民福祉の増強のために、政権奪取を目指す筋の通った、討議集団としてまとまらない限り、自民党から再び「野合」だという一言で一蹴されてしまうことになるのではないでしょうか。

 

≪極右政党、極左政党、中間政党の立ち位置を明確にすべきである≫

この流れの中において欧米の政党政治と対比すれば、日本共産党は「極左」、日本維新の会は「極右」と評価され、連立政権の枠組みには組しない勢力として位置づけられるの場合が多いと言えます。

その点、公明党は「中間政党」(mediam party)であり、国民のその時々の投票行動によって、保守、リベラルどちらの指示に国民世論が触れるかによって、いずれの連立政権にも組みすることになるのですが、現状では、残念ながら、政策的連立と言うよりも、選挙戦略上の自民党候補者との協力関係や結びつきが強いため、そのような行動はとりにくく、国民の評価も難しいことになります。

 

≪左派ー右派スコア(L-R Score)と連立政権の正当性を議論すべきである≫

欧米の政党政治の力学が分かりやすいのは、それぞれの政党の立ち位置が客観的にも明確なことです。「左派ー右派スコア」(L-R Score)と言って、各政党の政策や思想が左派(L)から右派(R)まで10段階評価されていて、その時々の有権者の選択がどちらに振れるかが政権選択に直結していることになります。その投票の平均値が「中間候補」(median candidate)とか、「中間政党」(median party)を決定づけて、連立の枠組みが決められていきます。この連立政権を建て上げるプロセスの中で、「政策協定」や「閣内協力」になるのか、「閣外協力」になるのか、「極右」や「極左」との一部政策を合意内容とする「協力関係」を決めていくことになり、政権の「正当性=マンデート」(mandate)が確立していくわけです。

 

≪「空虚な表現」ではなく、明確な「左派ポピュリズム」を確立すべきである≫

米国のトランプ氏が「アメリカを再び偉大な国に!」と叫び、英国のジョンソン首相が「ブレグジットを成し遂げよう!」などと言った「空虚な表現」(empty signifier)を繰り返して、政権を維持している現実は、ポピュリズムが世界を席巻してると言えるのかもしれませんが、今、日本に求められているのは「左派ポピュリズム」=常に国民福祉や国民一人一人に目が行き届く政策を掲げるポピュリズムだと私は断言したいと思うのです。世界には「極右政党」(radical right party)というものが、誕生し続けていますが、これは右派ポピュリズムと言えるでしょう。人々の、個人の幸福よりも、国家や経済体制を優先する考え方です。

 

≪失われた自民党の党内力学と忖度文化の蔓延を止めるべきである≫

自民党にはかつて、派閥の力学が激しく働いており、自民党内で右派的な思想から左派的な思想まで入り混じっていた時代が長く続きました。ですから、日本の政治はかえって分かりにくかったと言っていいかもしれません。富国弱兵とも言える政策の中で、本来、保守勢力や右派勢力が実現すべき外交・防衛問題を対米思想で抑え込み、国民皆保険制度や教育、福祉の充実などの本来の左派・リベラル的な政策を実現してきたために、世界一の社会民主主義的国家を建設してきたのです。それが今の日本の姿です。
しかし、自民党も小選挙区の導入から久しく、同じ選挙区で複数の自民党議員が凌ぎを削った時代の多様性やダイナミズムを失い、既に党内デモクラシーが地に落ちた観があります。小泉政権の郵政解散以来、自民党総裁でもある総理大臣による恐怖政治がまかり通り、自民党所属議員を潜在意識の中で縛っているからです。「忖度」という言葉は自民党政権にとって笑いごとではありません。

 

結論:『安倍政権の迷走の原因は何か?』: それは自由民主党における、デモクラシーの党内力学が働かなくなってしまったことにある。

このままでは日本のデモクラシーは死んでしまいます。私たち国民ももう少し「政治」や「デモクラシー」というものが、どのような歴史的変遷の中で世界中で発展してきたのかに関心を向けて、自分たちの国を見つめ直していくべき時が来た!のではないでしょうか。安倍晋三氏は自分でもどうしようもない権力の歯車の中心から抜け出ることは出来なくなっているのではないでしょうか。しっかりと、まず立憲民主党と国民民主党の所属議員が「リベラル政党」という方向性で一致して、合流し、他党もこれに合流するか、それぞれの立ち位置を明確にしてブレないことが大事です。

 

大きく分けて、右派(国家≧国民)という立場を取るのか、左派(国民≧国家)という立場を取るのか位は明確に立場を分けて、それぞれの立ち位置からブレることなく議論を戦わせる文化を切り開いていかない限り、史上最長となった安倍政権の下で蔓延する「忖度」政治が、日本のデモクラシーを破壊することになるのは自明の理であると私は日本国を憂いています。

 

マスコミ関係者の皆様も、是非、このような世界標準の政治解説を取り入れて、政局報道に当たって頂きたく、心から念願するところです。

(完)

政治セオリスト
Political Theorist
瀬戸健一郎(せとけん)
Kenichiro Seto (Ken Seto)