※日本国憲法の改正論議と安保法制について、せとけんの基本的考え方。

■日米同盟の真実~今も残る占領政策の実態

危機がそこにあるのではない。
危機がそこに創り出されてきたのだ。
戦前、世界に広がっていた帝国主義に、日本は少し乗り遅れた。
先進帝国主義国が後進大日本帝国をボコボコにして、
戦後もジャップは差別されてきたのだ。

米国と肩を並べた?米国と同盟関係が深い?
首都・東京の真上のお空は駐留米軍の占用スペース。
それを決めているのが日米地位協定で、
それを決めているのが日米合同委員会だ。
日米合同委員会の構成メンバーを見てみると、
日本側は外務省北米局のエリートキャリアがずらり。
米国側はすべて駐留米軍の制服組だ。
つまり日本政府の中枢が交渉相手としているのは、
駐留米軍の指揮官たち。

サンフランシスコ講和条約で独立したはずの日本だが、
同時に締結された日米安全保障条約によって米軍は駐留を継続。
朝鮮戦争が勃発して、日本は米軍の前線基地となり、
米軍が留守中に日本の国土防衛のために組織された自衛隊は、
60年安保でその存在意義が事実上、日本政府によって否定され、
引き続き駐留米軍が日本の安全保障の義務を負っているのだ。
最初の日米安保に調印したのが、吉田茂さん。
自衛隊があるのに引き続き安保改正に調印したのが岸信介さん。
そのお孫様たちが、現在、日本国の総理&副総理なのだ。

■米国から見た安保法制の存在意義~日本国憲法の理想

安保法制は、
米国が財政難を抱えながらも引き続き、
米国独自の安全保障政策を維持継続するために不可欠だった。
そうそれが、『前方展開』という考え方だ。
米国にとっての脅威が発生したら、
その発生源を叩く。
極めてシンプルなロジックだ。
でも、これは専守防衛の考え方では必ずしも説明がつかない。

米国が海外に展開する軍事行動が、
世界世論によって支持されるためには、
平和憲法を奉ずる日本国の作戦参加が不可欠なのだ。
だから、米国の本音は平和憲法の改正ではない。
平和憲法を奉ずる日本国が米国の軍事行動に参加することが大事。
だから安倍総理も加憲で第9条第2項を形式的に残す選択をしたのだ。

■米国が削減する軍事費の肩代わりをする日本

そして日本が米国の軍事行動に参加し、兵站を務める。
つまり、武器、弾薬、燃料、食料の調達は日本国が負担する。
防衛装備品も一度に購入すると防衛予算が突出するので、
日本国内の世論に配慮して、
対外有償軍事援助という方法で会計処理することにした。
これは一言で言えば分割払い。

例えば、北朝鮮から核ミサイルが飛んで来たら大変だ。
危機をそこに創り出し、
だからイージス艦だけでなく、
具体的に朝鮮半島から飛来するミサイルのコースを想定して、
イージスアショアを導入すべきだとプレゼン。
米国の命中率の高いミサイルを有償援助します。
というコンテクストが成立。

ところが、朝鮮半島から日本に向けて発射されたミサイルは、
日本上空では放物線の頂点を超えたロフテッド軌道で飛来。
9.8 m/sec./sec.で落下するロケット切り離し後の核弾頭のみ。
とてもこの小さくて超高速の核弾頭を打ち落とすことは出来ない。
でも、もし朝鮮半島から米国本土に向けた核ミサイルなら、
日本上空ではまだ放物線の頂点に向けて推進力を維持したままの
ミサイル本体であるので、
日本に設置したイージスアショアは効果的にこれを撃墜できる。

一体、だれのために日本国は日本国民の税金を使って、
防衛装備品を大量購入するのかをみんなで考えるべきかと思う。
安保法制の説明も分かりやすく説明するべきだ。
アメリカに向けて発射された核ミサイルを、
日本が日本上空で打ち落とすために、
集団的自衛権を容認する必要があるのだ。

■米国の前方展開と日本の軍法の欠如

米国は日本を守るために日本に駐留し続けているのではない。
米国は独自の前方展開という安全保障を継続するために、
世界に軍事基地を展開しているのだ。
その国の国民が納得するためには、
近隣地域に危機が存在していなければならない。
日本人はとても理解がいい。
北朝鮮の脅威があるから、中国の脅威があるから、
ロシアがまた南下してくるかもしれないから、
米軍に居てもらうことが必要なのだと理解している。
しかもその駐留経費の殆どを日本人が負担しているのだ。

さて既に、専守防衛に徹した自衛隊は、
現行憲法下でも合憲な存在として認められているのだ。
専守防衛に徹した自衛隊が、
専守防衛に徹した防衛装備品を揃えていくこと、
防衛力を高めていくこと、
そのための必要な法整備をしていくことこそ重要だ。

軍法も軍事法廷も軍法会議も存在しない安保法制が、
海外に展開する自衛官の行為に関する違法性を
どのように阻却させることができると言うのか。
南スーダンの戦闘行為で、
もしも現地の民間人が巻き込まれ死亡したら、
発砲した自衛官は日本の刑法で裁かれる可能性が高い。
こういう議論がされていないではないか。

■せとけん的改憲論議はこれだ

もっと目を見開いて、
本当に必要な議論をするべき時がきた。
私はそう考えている。
安全保障問題で必要なのは、
もしも自衛隊が国連平和維持活動に参画するならば、
前述の軍法、軍規、軍事裁判所、軍法会議等の
国内関連法が必要なのだ。
9条改正論議は必要ない。

なぜなら、日本国憲法第9条第2項冒頭には、
「前項の目的を達するため、」と明記されており、
前項の目的とは、
「国権の発動たる戦争と、
 武力による威嚇又は武力の行使」を放棄すること。
つまり、「陸海空軍その他の戦力」を保持せず、
「国の交戦権」を認めないと定めた第2項は、
第1項で上げられたネガリス(ネガティブリスト)の
こと
であり、
これには自然権としての自衛権は含まれていない。
つまり9条2項は自衛隊を否定していないという、
従来の憲法解釈に私は強く立っている。

■国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使

国権の発動たる戦争とは、自衛や安全保障のためならば、
国は国益を守るために戦争を起こしても構わないという
宣戦布告する権利のことを意味していると私は解する。
日本が真珠湾攻撃を仕掛けることも、
宣戦布告文書が遅配されたことを理由として、
日本悪玉説が捏造されてきたのだが、
宣戦布告する権利は当時認められていたのだ。
だから、マッカーサーも日本の真珠湾攻撃は、
国家の存亡に関わる安全保障上の理由から、
やむを得ないものだったと1955年に、
上下両院安全保障合同委員会で証言している。

だから、日本国憲法が宣言しているのは、
日本国は絶対に先制攻撃はしないというにすぎない。
先の大戦後、
世界中で民族自決権を発動させる民族独立運動が
世界中に広がった。
そして国民国家が国家国民を守る権利は、
それを規定する法が存在しようとしまいと、
自然権として認められているのだと、
国際法の原則のひとつとして認められているのだ。

■日本国憲法に自衛隊の存在を明記する目的

自衛隊は、この自然権としての自衛権を発動するための
無二不可欠な存在として、
自衛隊法によって設置されているので、
直ちに日本国憲法に第9条3項として、
これを明記する必要はない。
これが必要だと主張することは、
これまでの自衛隊の存在が違憲であったと、
内外に宣言するようなものである。

ただし、
自らの人生をかけて、自らの生命を捧げ切り、
自衛隊に奉職している自衛隊員の諸氏にとって、
このような自衛隊の違憲論争が続いていることは、
私も問題だと思わないわけではない。
しかし、
自衛隊を仮に9条第3項に明記したとしても、
その存在意義が専守防衛にあることを、
同時に明確に宣言するものでない限り、
安倍加憲は自衛隊についての新たな論争の火種を
生み出すことになることは必定だ。

今月24日に召集される臨時国家で、
安倍改憲が提起されて、
大きな憲法論争に発展する気配である。

みんなでこの問題にしっかりと取り組んでいきたい
ものである。

瀬戸健一郎(せとけん)
Kenichiro Seto,
Chief of Staff,
MP Yuriko Yamakawa's Office,
House of Representatives,
National Diet of Japan