■父より~天皇陛下の手紙
昭和天皇裕仁陛下が戦後直後に書かれた今上天皇明仁殿下への手紙
このブログ記事では、色々と悩んだのですが、昭和20年9月9日付の「陛下の手紙」を紹介しようと決めていました。この「陛下の手紙」は、終戦直後、まだ日光田母沢御用邸に疎開されていた皇太子明仁殿下に宛てた天皇裕仁陛下の親書とされる文書。これを『新潮45』(昭和61年5月号)に発表した、今上天皇明仁陛下のご学友・橋本明氏が一昨日、多臓器不全で逝去されたというニュース報道があったのが昨日のことでした。橋本氏がこの手紙を公表したことの適否や内容の真偽については、私にも思うところがあったのですが、彼の訃報はこれを私のブログ読者の皆様にも知らせる「時」なのだと確信させる出来事でした。今年の終戦の日が、天皇陛下退位を含め、大きな歴史の節目であることは確かです。
※2017.8.14 時事通信社の橋本明氏おくやみ記事に関する、せとけんの関連ツイートはこちら。
※2017.6.09 橋本氏の退位特例法批評(時事通信)に関する、せとけんの関連ツイートはこちら。
橋本明氏が公表した「皇太子に宛てた『天皇の手紙』」について、宮内庁記者クラブとの会見でたずねられた昭和天皇は、「その手紙のことについては、もう東宮(とうぐう)ちゃん(今上天皇)にはたびたび手紙を出しているので、そういう内容については、はっきりした覚えは今日はないのです」とこたえたそうです。(高橋鉱著『陛下、お尋ね申し上げますー記者会見全記録と人間天皇の軌跡ー』文春文庫、昭和63年刊)
(関連年表)
1945年08月06日(月) 原爆投下(広島)
1945年08月09日(木) 原爆投下(長崎)
1945年08月14日(火) ポツダム宣言受諾を連合国各国に通知
1945年08月15日(水) 玉音放送(降伏が日本国民に公表された)
1945年09月02日(日) ポツダム宣言の履行を定めた降伏文書(休戦協定)に調印
1945年09月09日(日) 皇太子に宛てた『天皇の手紙』が記された
■『昭和二十年九月九日の陛下の手紙』橋本明
(「天皇百話 下の巻」鶴見俊輔・中川六平編/ちくま文庫 P.39~41)より
手紙をありがたう しっかりした精神をもって 元気で居ることを聞いて 喜んで居ます
国家は多事ではあるが 私は丈夫で居るから安心してください 今度のやうな決心をしなければならない事情を早く話せばよかったけれど 先生とあまりにもちがったことをいふことになるので ひかへて居ったことを ゆるしてくれ 敗因について一言いはしてくれ
我が国人が あまりに皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである
我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである
明治天皇の時には *山県 大山 山本等の如き陸海軍の名将があったが 今度の時は あたかも第一次世界大戦の独国の如く 軍人がバッコして大局を考へず 進むを知って 退くことをしらなかったからです
戦争をつづければ 三種神器を守ることも出来ず 国民をも殺さなければならなくなったので 涙をのんで 国民の種をのこすべくつとめたのである
穂積大夫は常識の高い人であるから わからない所あったら きいてくれ
寒くなるから 心体を大切に勉強しなさい
九月九日
父より
明仁へ
*山県有朋、大山巌、山本権兵衛をさす
瀬戸健一郎(せとけん)
Kenichiro Seto