※夏の参院選で何度も繰り返し口をついて出てきた「軍事力よりも強い外交カード」という演説シーン。


暑い夏が終わった。父が死に、母子家庭になった私にアメリカの交換留学団体が留学するチャンスをくれた1980年の夏も、留学先のヒューストンは記録的な猛暑でした。放牧されているテキサス・ロングホーンという大きな牛がバタバタと暑さに耐えきれずに倒れたものです。

■なぜ日本維新の会だったのか?~地方制度改革への決意、その後の橋下発言。

日本維新の会が3月30日に私を参院比例区の公認候補に指名した時、「本物のデモクラシーをめざし、日本を変える。」、「世界に向けて、日本を主張する。」、「外務大臣になって、等身大の日米関係を構築する。」と留学先の高校卒業式で決意した私に千歳一隅のチャンスが訪れたと思いました。

市議23年間の経験から、憲法第8章「地方自治」を改正し、道州制による地方制度の改革によって、国民生活の身近な問題は地域で解決する。私にとって日本維新の会こそが、真の地方制度改革を達成できる唯一の保守改革勢力でしたし、今でもそう信じています。

しかし、国民の多くが日本維新の会が戦前の軍国主義に戻ることを標ぼうする保守系最右翼の政党であると評価し、従軍慰安婦についての橋下発言に大きな不信感を抱く中で、石原東京改革、橋下大阪改革、中田横浜改革、山田杉並改革で示された実践的な地方制度改革に対する日本維新の会に寄せられるべき本来の期待感が、いつの間にか民主主義に対する危機感へと変貌し、日本維新の会の国家観に対する多くの国民の懸念を増大する結果を招いてしまったことは残念でした。

私は選挙戦の中で何度も、「地方自治は民主主義の学校」(A.トクヴィル)と言われており、「中央集権を改め、本物の地方自治を実現することは、日本のデモクラシーを発展させることになる。」と街頭演説で繰り返し繰り返し、全力で訴えかけてきましたが、そんな国民の皆さまの懸念を払しょくするには至りませんでした。

選挙戦敗北の責任はそれでも、日本で一番大きな参議院比例代表選挙という全国区の選挙を出馬表明からたった2か月程度で戦い抜こうと考えた私の認識の甘さが最大の原因です。日本維新の会の主張をこの間、有権者の皆さまに充分に伝えきれませんでした。支援者の皆さまのご期待に応えることができず、大変、申し訳なく思っております。

■私の原点!~街頭遊説活動で感じる民意

28歳の頃、まだ保守系候補が駅頭演説活動をするのが一般的ではなかった時代に、私は松原団地駅西口に立ち、拡声器のマイク片手に政治活動をスタートしました。街頭演説は私の政治活動の原点。街頭に立つと、世の中の人々の思いがつかめるという感覚があります。

演説内容も事前に原稿を準備するのではなく、街頭に立って、とにかく話し始めてみる。すると語るべきこと、今、目の前を通り過ぎた人々の聞き耳に届けるべきメッセージが文字どおり、口をついて出てくる。

地方制度改革こそが、日本に本物のデモクラシーを実現させる処方箋であり、憲法改正は何も憲法第9条の問題だけではなく、日本というシステムが戦後70年ちかくも経て、様々な制度疲労を起こしてきているのだから、タブー視していてはいけない。そのような演説に終始していたことが、今、自分のYouTubeチャンネルにアップされている動画を見ると気づかされることです。

■思いと現実、導き出された本音と真実。

つまりそれは、逆説的に思い返せば、私が街頭で本当に感じ取っていたのは、国民が平和憲法だと評価し、受け入れ、誇りにさえしてきた日本国憲法を改正するなど時期尚早であるとの漠然とした意識や感覚だったのではなく、それは明確に憲法9条の改正そのものに対する重大なアレルギー反応だったのだと認めざるを得ません。

「世界に向けて、日本を主張する男!」を自認しながら、「違憲合法論」のあいまいさが世界の理解を得られない元凶だと断じ、憲法改正に対する国民的なコンセンサス形成の努力が必要だと街頭で訴えてきたものの、それは街頭で感じた国民の真の民意に対する単純な反論の域を越えることはできなかったようにさえ感じてしまいます。

そして私のまさに、口をついて出てきた演説が、このブログ記事冒頭の「軍事力よりも強い外交カード」という演説だったわけです。

■平和を創り出す力~国際相互理解の推進

愛妻・百合子とともに、「分裂ではなく一致を、争いではなく和解を、戦争ではなく平和を、新しい秩序と調和を社会に創り出す政治家夫婦として、共に生きていきましょうね!」と決意表明してきた私がなぜ維新なのか、百合子もなぜ、維新の候補者となった夫を応援するのかという疑問を持った支援者たちが少なからず居られた背景には、日本維新の会の思想を危ぶむ感情が根深く存在していたのだと思います。

奇しくも平和の祭典である東京五輪2020が決定し、日本人は日本国の独自の文化、伝統、歴史と発展に大きな自信と誇りを再構築していくことになるでしょう。まさに、「世界に向けて、日本を主張する男!」が政治家像として求められる時代がやってくるかもしれません。そしてそれは日本の国益だけを追求するためでなく、世界平和に貢献する国家として、日本が世界の中心的な役割を担う未来を創り出すことが目的でなければならないはずです。

そのためには、情報を対外的に発信することだけでは足りません。日本人自らが「等身大の日本」を再評価し、継承し、日本社会にもっと多くの海外の若者たちを受け入れ、その姿を体験し、理解して帰国して、自国民に日本をアピールしてもらうことで、日本をとりまく国際情勢の中で、国際相互理解が深まっていきます。

■新しい環境でスケールアップ!~青少年の国際相互理解を推進

政治家を志して33年間。うち、23年間をかけて、私は日本人の生活にもっとも身近な問題に取り組む貴重な体験をさせて頂きました。日本国や日本人の課題もたくさん認識するに至りましたが、同時に、日本国や日本人の等身大の姿も深く理解することが出来ました。

現在、51歳。神様が私のこれからの後半生に、私が18歳の頃に見た外務大臣になりたいという幻(ビジョン)をどのように成就されるのかは分かりません。しかし、日本維新の会参議院比例区の次期支部長としての立場は未定であり、28歳の頃から続いた職業政治家としての生活は、一旦休息し、次のチャンスに備えます。

当面の間、私はこの演説にある青少年の国際相互理解推進事業に身を投じることになりそうです。参加団体のある世界約50か国、とりわけ本拠地のあるアメリカ合衆国との交流をメインに、日本国と相手国の若者の交換留学ブログラムを基軸として、グローバルな人材を育成する教育環境を切り開いていく仕事です。

外交と教育。子どもたちに英語を教える仕事はしてきましたが、実践的に自分自身の英語力、外交交渉力、教育力、問題解決能力が試されることは刺激的だと言えます。自分自身に磨きをかけ、再び皆さまのお役に立てるよう、さらに前進してまいります。

今後とも、倍旧のご指導ご鞭撻、そして暖かいご支援ご期待を賜りますよう、心からお願い申し上げます。

瀬戸健一郎(せとけん)
Kenichiro (Ken) Seto