$草加市議会議員 瀬戸健一郎 オフィシャルブログ「だれもが幸せなまちをつくろう!」Powered by Ameba-測定結果(芝)

※草加市よりも早く、ウクライナ製と中国製の2台の線量計で独自の測定を行いました。2011.6.4


皆さま、大変ご無沙汰いたしておりました。

実はこれまで何度も、ブログ記事を書きかけては、アップする手前で躊躇があり、今日を迎えてしまったことをお詫びしなければなりません。

3月11日に発生した東日本大震災の直後、私は自分の喉の両脇に違和感を覚えていました。その後、それはしばらくして消え去りましたが、以来、疲れやすく、気分がすぐれない状態です。ちょうどその頃、私のアメリカの母(高校留学時のホストマザー)から、私たちにアメリカに避難してくるように切実なメールが届いていました。

海外からの福島第一原発事故に対する放射能もれに対する心配は当時、異常とも思えるほど深刻なものだと感じていました。

■福島第一原発事故に対する海外からの反響

今年10月、私が卒業したアメリカ合衆国テキサス州ヒューストンにあるベルエア高校の同級生たちが、卒業30周年のパーティを大々的に開催するから、是非、参加しないかと呼び掛けてくれていましたが、30年も前に、たった1年間しか高校生活を共にしていない私は浦島太郎。つながりの途絶えていない友人もあまり多くはないけれど、せっかくの機会だから行ってみようかと考えていました。

私は昨年の市議会議員選挙で「e-デモクラシー」を推進することを公約のひとつにしました。ブログやツイッター、ミクシィやYouTubeといったITを駆使して、だれもが直接つながり合える社会を通して「本物のデモクラシー」=民主主義を草加市に実現していきたい。そんな思いは、今や一層大きく膨らんできています。

そんな日常的な活動の一環として、かなり前からFacebook(フェイスブック)にも登録していましたが、こちらは長い間、休眠状態でした。

ところが、3.11の直後から、「私にはこんなにも多くの友人たちがいてくれたのか!」と実感させられる程、30年間、音信不通状態であった、あの頃の友人たちから次々に「お見舞いメッセージ」がFacebookを通じて届くようになりました。

イギリスからも英国留学時代の友人たちのダイレクトメッセージが届き、今でも、私たち家族のことや、日本のことを心配してくれています。

人と人とのつながりは、洋の東西を問わず、洋の東西を越えて、本当にありがたいものだと実感しています。

■日本の原発は大丈夫。~信頼はまだ崩れてはいなかった・・・

そんな彼らに対して私は、「日本の原発は大丈夫。」と答えていました。

@setokenichiro
瀬戸健一郎 なるほど。チェルノブイリやスリーマイルの事故は制御棒が降りず、核融合が止まらなかったが、福島原発の場合は、制御棒が核反応をシャットダウンした後の余熱処理の問題。地震ではなく、津波がそのバックアップ設備を破壊したとのこと。徹底的に海水を入れて冷却に専念すれば収束する?そう祈ります。(3月15日Webから)

@setokenichiro
瀬戸健一郎 Fukushima Power Station had successfully shut down its nuclear activity soon after the Quake. But Tsunami destroyed their back-up system.(3月15日Webから)

@setokenichiro
瀬戸健一郎 Their explosions are not by melt-down but by the retained heat. Now they are trying to cool IT down by sea water. Pray that stabilize IT.(3月15日Webから)

以上は、私の当時のツイート(ツイッター上のつぶやき)で、同様な内容をFacebookを通じて海外の友人たちに発信していました。アメリカの母であるナンシーに対しても、「あなたたちが暮らす場所くらいどうにでもなる。早くこちらに避難してきませんか。」という申し出に対して、「日本の原発は大丈夫。」と繰り返しながら、「私たち夫婦は草加市の有権者から選挙された議員です。市民を差し置いて自分たちだけ逃げることはできません。」と答えていました。

しかし、その市民に対してさえ、まったく無力で、何の役にも立っていないことに直面させられる現実・・・。

■揺らぐ信頼。~すでにメルトダウンは起きていた!

震災発生から2カ月経った5月13日のメディア報道に私は背筋の寒くなる思いと言い知れぬ無力感に襲われたことを告白せざるを得ません。最も恐れていたメルトダウンはすでに津波発生とほぼ同時期に起きていたのです。それと同時に、震災後に感じた喉の両脇の違和感が記憶としてよみがえってきました。虫の知らせだったのでしょうか?それとも私の甲状腺は本当に放射能の大放出の瞬間を感じ取っていたのでしょうか?

いずれにしても私の原子力発電に対する信頼も、東京電力や日本国政府に対する信頼さえも、大きく揺らいだ瞬間でした。

■それでも、為すべきことを為すことができるように!

大量の冷却水は放射能汚染水となり、すでに発生した水素爆発が一度に多量の放射線と放射性物質を大気中にまき散らし、今も放射能が漏れ続けていることから目を背けることはできません。とは言え、すでにメディアやインターネット等を通じて報じられている様々な事象が人々の恐れや不安を必要以上に増幅させるのも無視することはできません。現象と放射線の因果関係は事実なのか推論なのか。放射線に対する知識や認識があまりにも希薄であったことだけは、私も猛省しているところです。

さて、草加市としての主な取り組みは次のようなものです。

(1)放射線量の測定と公表。(草加市ホームページ)
(2)被災者支援基金の創設。(ふるさと納税の制度を適用)
(3)庁舎省電力対策の実施。(LED蛍光管、紫外線防止フィルムの導入)
(4)被災者受け入れの対応。(財務省官舎、松原団地の空室の開放等)

■目に見えない放射能との闘い。~問われる情報提供とリテラシー

「情報エントロピーの増大はカオス(混沌)を引き起こす危険を含んでいる。」講義そのものでこのように述べられたかは記憶にないのですが、これは少なくとも私が獨協大学在学中に社会学で学んだことのひとつです。日本の政治家たちは、いや、日本の官僚たちは、「由(よ)らしむべし、知らしむべからず。」という言葉を曲解してきたと思います。情報を国民に提供して、カオス(混沌)が増大するならば、国民に情報を与えない方がいい。安定的な統治を望むのであれば、「国民に理解を求めず、ただ従わせればよい。」といった感覚。実は日本という社会を動かしていると自負している官僚や経済人の視点からは、政治家さえも、知らしむべからざる、知らせてはいけない国民の一部としか扱われてはいない。

今更ながら、この国に本物のデモクラシー=民主主義を実現することの必要性と使命を強く感じさせられる思いです。

由らしむべし、知らしむべからず。(民可使由之。不可使知之。)これは孔子の説いた論語。「べし」とか「べからず」を「しろ」とか「するな」といった命令形だと誤解したことが、統治する権力者側の身勝手な曲解と論理の原因なのではないだろうか。子曰(しのたまわく)=孔子が述べたことは、「国民を従わせることは出来るが、国民に理解してもらうことは難しい。」という教訓でした。つまり、「べし」とか「べからず」は、「可」とか「不可」と文字通り解するべきで、可能性の問題。

日本に本物のデモクラシー=民主主義を実現するためには、この国のリーダーたちが、孔子が「不可」とまで述べた「国民の理解」を求める困難な仕事に誠実に取り組んでこそ初めて実現していくし、国民の側も、あふれる膨大な情報の中から「事実」と「解釈」を区別し、自分なりの「真実」を導き出す「思考」と「哲学」が求められてくると思います。

そして「事実」(Fact)は一つだが、「真実」(Truth)は十人十色だということを互いに受け入れ合ってこそ初めて、デモクラシーは人々を自由へと解放するでしょう。

目に見えない放射能という敵との闘いに勝利する。

今、世界が日本に注目しているのは、このことが現実のものとなるのかどうかということではないでしょうか。既に私たち日本国民の周りには、未経験の未確認の様々な情報があふれています。「年間被ばく量の上限は1mSvであり、草加市各地で測定されている0.19μSv/hは、すでに年間被ばく量1mSvを超える放射線レベルである。」と危機意識を強める一方で、「それは一時的な室外放射線レベルなのであって、室内レベルはそれに0.4を掛けた程度なので、屋外に居る時間と屋内に居る時間を按分して積算すると、このレベルでは1mSvを下回る。」と説明されて一定の納得をする。

しかし、そもそも1mSvが安全だという根拠は何なのか。室内レベルを4割だと積算する根拠は何なのか。屋外と室内に居る時間の按分にも個人差があり、不安は解消されない。「国民に理解してもらうことは難しい。」という前に、誰がこれらの問題をそもそも理解しているのでしょうか。つまり、自分なりに納得できるようになるには情報は公開されていかなければならないし、その情報を扱うリテラシーは、情報の受け取り手側の責任でもありそうです。

e-デモクラシーは、情報公開と情報リテラシーを前提としています。

権力によらず、問題解決に誠実に取り組む姿勢と、その問題の実態を国民に理解してもらうために必要な情報を読み解くリテラシー(能力)が政治家には求められていると感じます。

日本大学松戸歯学部の金田隆教授から、「危険性が回避されるまで、子どもたちのプールは避けた方がいいのではないか。」とアドバイスを受けました。すぐに、このことを市長、副市長、教育長に伝えました。放射線量測定器が全国的に不足していて、実態把握が不可能な状況が続き、そのような懸念が私にも強くあったからです。しかし、実際に草加市のプールの水を検査機関で調べたところ、放射線は検出されなかったので、子どもたちが楽しみにしていたプール開きは予定通り実施されました。

今後とも、こまめに測定を継続し、放射線が検出されれば、ただちにプールは中止するとのことです。

私の友人でもある放射線技師は、必ず着用を義務づけられている放射線被ばく測定器を、法律で定められた放射線量を超える被ばく量に達しそうになると外して勤務を続ける実態があることを話してくれました。「医療法施行規則」(第4章診療用放射線の防護/第5節限度/第30条の26&27)で管理が義務付けられている数値の根拠が何であるのかが知りたいところですが、この数値や実態はケタ外れです。もちろん、これらの数値は成人に対するもので、乳幼児や成長期の子どもたちへの影響を定めたものではありません。

日本は世界で唯一の被爆国です。これは悲しい現実でしたが、放射能と人体への影響について、かなり多くの臨床データの蓄積がこの国には存在しているのではないかと感じます。厳しい現実を直視することには勇気が必要だと思いますが、今も昔も、日本の放射能の問題は天災ではなく人災です。これらの悲しい現実から学ぶべきものは全て学び、この問題の解決に全国民的なコンセンサスをもって取り組むべきだと思います。

今回崩れた原子力の安全利用に対する信頼が回復しない限り、私も原子力発電を容認することは出来ません。しかし同時に、原子力発電への賛否に止まらず、もっと深刻な問題が目の前にあることを認識し、その一つ一つの問題を克服していく必要にも迫られる思いです。

単純に人々の恐れや不安を煽るのではなく、地に足をつけた議論を始める。この問題の実像はまだきっと、誰にも分かっていない。もしくは知らされてはいない。私はそう感じます。日本人が世界有数の高い教育水準を達成していて、その国民が支える日本国という国家が、今回の問題をどのように解決していくのか。この国の政治が、デモクラシーが、本当に問われているのだと感じます。

政争や感情論で私たちが解決しなければならない問題を矮小化しないように、私も私にできることにこれからも取り組んでまいります。

皆さんの声を、私に聞かせて下さい。よろしくお願いします。

瀬戸健一郎
Kenichiro Seto
草加市議会議員
Soka Cty Councilor

編集後記: このブログのトップ画像は草加市内のある小学校のものです。同じ小学校でも、どの場所で測定するかによって、数値にばらつきがあり、まったく同じ地点であっても、2つの測定器の数値がなかなか定まらないというのが実態でした。同日、室内で測定した結果は、確かに屋外よりも低かったですが、半分以下ということはないのではないかという印象です。また、側溝汚泥は高く、プールサイドは低いという印象も受けました。放射性物質が貯まりやすいか、流れやすいかで測定値は異なっているのかというのが、今回の私が持った感想です。