寂しさを抱いて愛を生きよう -5ページ目

寂しさを抱いて愛を生きよう

悲しみや痛みを知り
寂しさを自分で抱えられるということは
人を愛することの第一歩

寂しさを誤魔化すことなくしっかり抱いて
どのくらい深く愛して生きていけるかという試みの記録

ある時、瞑想中でしたが
ふっと一瞬、心にひらっと光が差し込み
ある考えが湧いてきました。

私は私を幸せにできない。

がーん。。。

こんなに何十年も頑張ってきたのに。

溺れないように必死になって
ジタバタ足掻いてあれこれやっては失敗して。

やれやれ


私に幸せな瞬間が無かったわけでもなく
どちらかというとたくさんあって
それについては、とても恵まれた半生だったと言えるかもしれないけど

それはいつでも誰かが差し出してくれた
優しさや励まし、時にはただの眼差しが
私を幸せにしてくれたのであって
私が私を幸せにしたわけではない。


結局、あー、関係ないんだ、私の頑張りは。

それで諦めて、脱力して、
そしたら、すーっと海の底に沈んで落ち着きました。


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それから、2週間ほども経っただろうか
今日また、ふっと思いました。

私に優しさをくれる人がいて
その人も私の優しさを受け止めてくれている。

その人は私を幸せにするのが上手で
私はその人を幸せにするのが上手だ。

自分で自分を幸せにできなくても
私たちはお互いを幸せにすることはできるんだ。

そういうことができる相手が
自分の人生にいることに気づいたら
自分の中の創造性をありったけ発揮して
その人を幸せにしてあげて
自分も幸せになっちゃえばいいのだ。

それは、相手のために自分を犠牲にすることとは
まったく世界の違う話しなのです。


それは、生きることが芸術になる瞬間であり
私たちの誰もが創造主になれる瞬間なのではないでしょうか。


いや、ちょっと大袈裟な話しになったけど
ホントのところ、そんなふうに思ったのです。


自分の人生にはいないと思っても大丈夫
それはきっと、まだいないだけ。
あるいはいるのに気づいてないかも。

心の向くまま笑顔や優しさ振りまいてみて
それに応えるセンサーがピッと立つ人
必ず近くにたくさんいると思います。