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寂しさを抱いて愛を生きよう

悲しみや痛みを知り
寂しさを自分で抱えられるということは
人を愛することの第一歩

寂しさを誤魔化すことなくしっかり抱いて
どのくらい深く愛して生きていけるかという試みの記録

 
 
長田(おさだ)弘さんという詩人を知りました。
 
 
長田さんの視点によると
 
自分を表現する詩を書けと
世間ではよく言われるが
それは僕にとってはちょっと違う。
 
自分の存在というものは
積極的にあるものではなく
受動的にあるものなのだと。
 
 
 
人は選んだわけでもなく
ある場所に偶然に生まれ
そこでの風景をずっと背負っていく。
 
背負っている自分の中の風景によって
それぞれ全く違う感じ方や見方をして
新しく見聞きするものを受け止めて生きていく。
 
表現すべき「自分」は自分の中にあるわけではなく
それぞれ独自の風景を抱えた存在として
外から受けとるものを
どう感じてどう表現するかなのだと。
 
 
 
例えて言ってみれば
 
駅伝ランナーのように
外側から手渡されたタスキを受け止めて
次の人に手渡していくようなもので
 
見聞き体験するものごとを
私が感じ受け止めて表現する
そのやり方の中に私らしさが出るのだということだろう。
 
 
 
この観点に出会って
私は、なにか重石が取れたような気がしました。
 
いつの間にか、自分の中に表現すべきことや
生きる意味らしきものの答えを探してきて
いつまでもそれが明確に見つからないことに
焦りや諦めを持っていたのかもしれない。
 
 
 
空っぽの自分なんだということに安心して
「自分らしさ」ということを忘れて生きた後で
振り返った時に自分らしい人生が見えてくる。
 
そんなものなのかな、と思いました。
 
 
 
長田さんの詩、ここで聴けます。