脳梗塞にはなって10年なんてことを書いたからか、土日とも寝込んでいました。

脳梗塞になってもう10年たつのに、まだいろんなことで悩まされているこの体。また全身が痛かったので、本来早めに検査してもらって、ぼくのこの症状が線維筋痛症か慢性疲労症候群か、はたまた脳梗塞の後遺症なのか、はっきりさせるべきだとはおもうんです。

ただ、現在でもたまにマイナス家計になって預金を引き出して生きてます。まあ最後は生活保護でしょうが、線維筋痛症や慢性疲労症候群、脳梗塞の後遺症とわかって薬が増えても、支払える余裕がないというところまできているのです。それでつい後回しにしています。

あと、横になっていると、左半身の痛みが右半身の痛みより勝っていると感じるのです。そうなると、もしかしたら脳梗塞の後遺症でしかないかもしれない。それでも出される薬はいま出されている薬がもっと増える可能性があります。

ぼくの鬱病の原因は脳梗塞なので、それが由来なら、もしかしたら自立支援医療でまかなえるのかもしれません。その辺は医者に聞くべきでしょう。

あと、気圧の変動にはめっぽう弱いのですが、1度低気圧なり高気圧に覆われて安定すると、動けることがあります。

そんなことを横になりながら考えてました。そして結局、雨が降っている昨夜に外出することができて、3日ぶりに外の景色を見ました。確かに春が近そうですね。
10年前の2005年3月12日に脳梗塞を発症し、翌13日未明に救急搬送された日です。

つまり脳梗塞になって救急病院に運ばれてからちょうど10年たちました。長いような短いような時間です。

麻痺が残って、一時はましになったものの、結局身体障害6級になるは、脳梗塞が原因で鬱病となるは、高次脳機能障害になるはで、大変な10年なはずなんですけど、あまり実感はありません。

ただ、脳梗塞になって最初のころはもっとゆっくり生きなきゃとか思ったり、いつもモヤがかかってるような思考しかできなかったのを思い出します。

自分をほめたいのは、自分が倒れてから2ヶ月ほどの業務の多くは出来上がっていたのです。成果物として完成していたので、残された新人の子とか上司とかがそんなに大変では無かったようです。ただ後で困ったらしいのは、パソコンのパスワードがわからなかったので、それを突破するのが大変だったという、いかにもIT関係の話だったことでしょうか。
去年まだ、ハローワークに通っていたころの話です。

ぼくは渋谷のハローワークに通ってました。認定日に行けない日もあったり、毎回ぎりぎりに認定を受けたりしてました。

あるときぼくが高次脳機能障害だというと、メモを取ってるのとか、いろいろ質問攻めにされ、努力が足りないというのです。

ぼくの場合、頭のワーキングメモリーという一時的に記憶しておく領域のどこか、それは海馬ではないのですが、壊滅的に記憶できない症状でした。NHKなんかに出てくる高次脳機能障害視野には、すさまじい努力によって日常生活を送れなかった人が、送れるようになった人もいます。

しかし、そんな人ばかりではありません。また、ハローワークでの集中してフォローしているのが、発達障害に移っていて、高次脳機能障害はもういいという態度が出てる人もいました。

そのとき思ったのは、病気にも流行があって、注目されたり厚生労働省が力を入れているときは盛んに政策を出してくれますが、それを過ぎると旬の野菜でなくなったように、予算がすごく減っていくこともあるんだという現実でした。