消滅可能性を指摘された市町、「一喜一憂せずまちづくり」「違い出すの難しい」・・・ 人口減の加速に強まる危機感(中国新聞デジタル) 

 

 

>違いを出すのが難しい

 

 こういう状況を引き起こすのが学びなのです。これだけの市長さんが有りながら、互いに違いが出せない現状は、学校教育が日本全国津々浦々で、同じ内容を同じように教えて来た結果だということ。

 

 つまり、政府が施す学校教育が地方の衰退を引き起こしているという事になるのです。これからは、これまでと同じ生き方は通用しなくなるのです。

 

 みんな一緒に同じことを同じように勉強しても、その先に同じような仕事はない。何故なら、そんな仕事は全部AIがやるようになるからです。

 

 残念ながら、仕事に於いて人間はAIには勝てません。何故なら、AIは24時間年中無休で仕事が出来るから。これは人間には絶対に出来ないことなのです。

 

 更には、原動力は僅かな電気代で済む。住宅手当も交通費も食事をとるための昼休みも、ストレス解消のリフレッシュ休暇もバカンスも要らないのです。

 

 言われたことを言われた通りに決められた時間で間違えることなくキチンとこなせる。これもまた人間には出来ないことだと言えるでしょう。

 

 今後、本格的にAIが労働市場に入れば、事務、企画系の仕事は激減するわけで、それを目指す多くの人たちは職を失う事になるのです。

 

 つまり、殆どの人間は働けない、言い換えれば働かなくても良い時代が間もなく来るのです。そういう今は考えられない未来に、過去を学んでも何の役にも立たないという事です。

 

 むしろ、過去に拘ることで未来を生きていけなくなるリスクがあるので学ぶことは危険というレベルになると思います。

 

 少子化が起こっているのは、そういう人間社会になれば、人間はイラク無くなるという暗示なのです。全ては必要に応じて与えられるようになっているのです。

 

 人間社会に人間が要らなくなる・・・・それは、人間そのものが要らなくなる世界を意味しているわけです。従って、そっちに向かえば間違いなく人間は滅ぼされることになるという事です。

 

 全ての人が学校教育を受けるという事は、自ら人間が滅ぼされる道に進んでいるという事になるのです。こういうことは自分で考えることが出来れば誰もが分かることですが、学ぶことしか出来ない人間には全く理解出来ないことになると思います。

 

 学ぶという行為は真似ることであり、真似る為には今存在しないと出来ないのです。しかし、我々が生きる明日という未来は、目には見えないモノです。

 

 それを見る為には考える力=想像力がないと出来ないのです。

 

 今は見えない未来にある人類滅亡という事実。それを想像することが出来なければ、それは理解出来ないことととなるわけです。

 

 日本という国を築いているのは、学校で一生懸命勉強した役人たちです。しかし、彼らには未来は見えないのです。未来が見えない人が出来ることは、これまで有ったことを真似ることだけ。

 

 そして、日本というのが金太郎飴みたいになるのです。学んだ人はそれで安心することになると思います。しかし、それは本来の人間としては不気味なことです。あり得ないことなのです。

 

 何故なら、人は皆違うから・・・・です。それがそんな風になっているという事は、人を殺しているという事なのです。その結果、人間は滅亡することになるのです。

 

 やるべきは人を生かすことです。人を生かす社会を作ることです。先ずは、学校教育を止め、人が皆違うという基本を守る行動を取ることです。

 

 人が皆違うから、全ての人は自由であり、生きる価値と意味を持つ貴重な人生を得られるという事を実現すべきだと思います。

 

 それをやって、人間を本来の人間に戻せたら、人間として適切な出生数が得られることになると思います。子どもとは何かと言えば「愛の結晶」だと思います。

 

 その「愛の結晶」が減っているのは、紛れもなく、人間社会から「愛」が失われているからなのです。人は恋をして恋愛をして結婚して、愛する人との子を儲ける。

 

 他の動物にはない、とても面倒な手順が、人が人たる所以だと思います。それがあったから、私たち現代人はココに居るのです。しかし、それは当然目には見えないので、学ぶ人には分からない。

 

 そして、目に見えるお金に目が眩んで人間ではなくなっていくのです。私たち生命の価値はお金では測れない。実は、この世にお金で測れるモノは何もないのです。

 

 それを無理やり測る脳に洗脳される学校教育に依って人間は壊されることで、この世界に不幸や苦しみがまき散らされるのです。そして、それらは本当の人間にはないのモノです。

 

 私たち人間にあるのは、生きるのが楽しくて仕方ない人生。それを実現出来る能力と言えるでしょう。それを学校教育で奪われることで人間は狂ってしまうのです。