まさか、元旦にこんな悲劇が起ころうとは誰も想像すら出来なかった事でしょう。日本人の生活習慣としてお正月は特別なモノであり、新しい年を祝い、新しい年を良いモノにしていこうと心新たにする日なのです。

 

 それを木っ端みじんに壊してしまう地球という環境の怖さを改めて思い知らされる結果となりました。

 

 一年中で最も手薄となる危機管理体制

 

 多くの人が浮かれ酒を飲み大騒ぎし羽目を外しているその時に自然は容赦なく牙を剝いたわけです。これこそが人間の傲りを思い知らされることではないかと思います。

 

 私たち人間は未来のことを知ることは出来ません。それは誰一人として明日の命を保証されていないという事です。

 

 それは、常日頃の様々なことが私たちに教えてくれていることではないかと思います。しかし、そんなことに目をくれる人は殆ど居ません。

 

 仮にそういう事で他人が苦しんでいても常に対岸の火事程度にしか捉えることが出来ない。テレビでどんな光景を見ても自分には起こらないと勝手に思い込むわけです。

 

 そして、今生きていることに感謝することなく、二度とない貴重な人生をくだらない事に使って辛く苦しい人生を送り、最期の最期に「こんなはずじゃなかった」という決め台詞を遺してこの世を去っていくのです。

 

 そういう人たちをたくさん見送りながらも、その人たちの心情を探るどころか、体裁だけを見て勝手に良い解釈をつけて誤魔化すことに終始する。

 

 本当に自分を殺して他人を気にして他人の為に生きる人生を演じるしかないのでしょう。

 

 今回の正月悲劇は、恐らく、危機管理体制を根幹から変えることを迫られると思います。少なくても危機管理体制に従事する警察、消防などの公務員から正月という意識を取り払う事でしょう。

 

 天災は忘れたころにやって来るわけです。だから、一日たりとも休んではいけない。当たり前と言えば当たり前のことであり、何を根拠にそれを蔑ろにしてきたのかを問われるかもしれません。

 

 こうした人間の傲りが招く悲劇がこれからたくさん起こって来ることでしょう。それは、私たちに人間が人間として生きることを迫って来ることを意味するのです。

 

 しかし、そういう本質を考えることはしなければ、私たち人間はどんどん苦しくなっていくことになります。それは人間の存続を脅かすことになるでしょう。

 

 鳥が鳥で合うように魚が魚であるように、人間は人間でなければいけないという当たり前が問われるのです。苦しい時ほど原点に返ることが重要であり、そこからリスタートすることが大事なのです。

 

 私たち人間は一体何のために生きるのか?

 

 未だかつてこの基本中の基本をキチンと認識出来ている人間は殆ど居ないと思います。それこそが人間を絶滅に追いやることを忘れてはいけません。

 

 他人は関係ないのです。常に自分が人間でいることに心がけなければ人間という生き物は途絶えてしまうのです。人間は、明日という未来に向かって進むことを生きると呼んでいます。

 

 だから、大事なのは明日という今ない未来を見る眼鏡をつけること。それを失う事で人間は人間としての未来を失うのです。そして、全ては私たち人間にそれを思い出させようとして起こる。

 

 これはある意味、地球からの悲劇という名の愛のメッセージなのです。何故なら、地球が人間に求めるのは人間として生きることだからです。

 

 そして、それを思い出すまで悲劇は繰り返されます・・・