Quouraでの回答を転載します。何かのお役に立てれば幸いです。

 

 人間関係に悩んでいて自己啓発本を読み言動に慎重そうな友人が突然年齢でマウントを取ってきたり思いもしない傷つく様な事を言ってきたりします。これは無意識ですか?またどう対処を?

 

 リクエストありがとうございます。マニュアルにそう書いてあったのでしょう^^;

 

 人は学ぶと考えなくなるのです。その典型かと・・・人間関係にマニュアルはありません。何故なら、人は皆違うからです。その違いを受け入れることが出来ないと人間関係は築けません。

 

 きっと、それで悩んでいたんでしょう。悩むとは考えていない証拠です。現代人の殆どは考えることを悩むと思い込んでいますが、大きな間違いです。

 

 人は考えるようになる悩まなくなります。逆に、悩むようになるのは考えなくなるからです。そんな話聞いたことがないと思うでしょうから、軽く説明します。

 

 考えるとは想像することです。つまり、例えば、人間関係が上手く行かないという状況をキチンと考えるのです。何故、上手く行かないのか?どうすれば上手く行くのか?その方法が見つかれば試してくなると思います。

 

 そして、それを試すことで結果が出るでしょう。上手く言えば嬉しいし失敗すればショックを受ける。でも、そこで更に、何故失敗したんだろうって考えるのです。そうすれば、新しい方法が必ず見つかるのです。

 

 で、今度はそれを試してみる・・・この繰り返しをしていけば、いずれ人間関係を自由に操れる猛者になるのは想像に難くないと思います。要は、考える人に諦めるという選択はないのです。だから、悩むという現象は起こらないという事です。

 

 しかし、悩む人はそれが出来ないので、他人を頼るのです。友達であったり、それこそ啓発本であったりと・・・でも、そこで見つけた方法が失敗するとその先はないのです。何故なら、その方法は教えてもらったモノであり、自分では考えてないから次はないのです。

 

 そうすると、また悩むことになる。そして、また違う知識や情報を探す。そして、上手く行かないとまた悩む。これを繰り返すとどうなるか・・・最後は知識や情報がなくなるのです。与えられるモノには限界があるのです。

 

 その時に何が起こるかと言えば絶望という悩みの墓場です。悩む人間のゴールです。学ぶ人間のゴールは絶望という事になります。たくさん学ぶ人間は絶望までの時間が長いし、少ない人は絶望までの時間が短いという事になります。

 

 自分で考える人間は猛者になり、他人に頼る人間は絶望する。当たり前と言えば当たり前の結果ではないかと思います。つまり、学校で勉強させることで絶望する人間を増やしているという事です。

 

 若い内は気づきませんが、高齢者を見れば少しは分かるかもしれません。学ぶ人は生きれば生きるだけ辛く苦しくなっていきます。考える人は生きれば生きるだけ楽しくなっていく。きっと、これが人間の本当の姿だと思います。