今更ですが、今日は改めてこの事を書いていこうと思います。皆さんは人間とは何だと思っているのでしょう?その解釈の間違い全てを狂わせることを知って欲しいと思います。

 

 このブログで何を書いて来たかと言えば、実は人間とはどういう生き物なのかを書いて来たように思います。

 

 そして見つけた答えは「自分で考えて行動する」のが人間であるというモノです。しかし、現代人でそれが出来る人は殆ど居ません。

 

 それは何故かと言えば、学校で学びを強要され学ぶ癖がついてしまうからです。学ぶとは真似ることです。そして、考えるとは想像すること。言い換えれば自分で作ることになります。

 

 真似るのは誰でも出来ますが、考えるのは自分にしか出来ないことです。真似るのが楽ですが、考えるのは大変です。

 

 そして、学ぶとは過去を知ることであり、考えるとは今はない未来を作ることになります。こう書けば、学ぶ人はどうなるのか?考える人はどうなるのかが多少は分かるのではないかと思います。

 

 学ぶ人は知識や情報という学ぶモノがなければ何も出来ません。言い換えれば、知識や情報に支配されるという事です。支配されるというのは制約を受けるという事です。

 

 それに対して考える人を支配するモノは何もありません。もし、あるとしたらそれは夢や希望という事になるでしょう。未来を作るためにあるのが考えるという能力であり、当然、今はない未来は自分で作る以外に手に入らないのでそうなります。

 

 学ぶ人の特徴は過去に縛られるので、上手く行っていない過去を悔やむか上手く行った過去に自惚れるかになるでしょう。学ぶ癖とは過去を見る癖なのでそうなります。

 

 それは卑屈になる人間と偉そうになる人間をつくるのです。人間は皆平等だからとどんなに叫んでも、人は皆違うので当然生きてきた過去も違い差が出るので平等とはならない。

 

 その結果、不公平だの不平等だの僻む人間が溢れることになるわけです。偉そうな人間は偉そうな人間でこれまた厄介な存在となるでしょう。

 

 何故なら、過去の栄光は未来を約束しないからです。肩書や年収やこれまでの実績という過去をどんなに駆使しても未来へはいけないのです。

 

 私たち人間に唯一平等なのは1日24時間という制約を受けているということと、今はない自由で無限な未来を誰もが持っているという事だけです。

 

 しかし、何れの人間も、唯一平等で公平な資源を使わない。「自分なんかに出来るわけない」と思い込む卑屈な人間と「自分なら出来る」という過去の実績という何の根拠もないモノを使って妄想する人間だけとなるのです。

 

 卑屈な人間は他人を恨み他人のせいにすることで壊れた自分を維持するのがやっとだし、偉そうな人間は不安で一杯で夜も満足に寝れない日々を過ごしているのです。

 

 そういう人間ばかりだから、それが人間だと思うのは仕方ないことかもしれませんが、そうでない人間も居るのは確かだと思います。たまにはそういう人間が何故居るのかを考えても良いかもしれません。

 

 自分で考えて行動する人の特徴は、嘘をつかないところにあります。考えるというのは未来を想像することなので、そこに嘘が入ると自分の思い描く未来へ行けないからです。

 

 当然、見ているのは常に未来であり、未来には何もないので、あるのは自由と無限の可能性となります。そういう人は過去を全く気にしません。

 

 気にする暇がないと言うべきでしょうか?その時間があったら未来をドンドン素敵にする時間を取ろうとするのです。そういう人は不安や悩みというモノを持たない。

 

 だって、自由で無限な未来にはそんなものはないからです。生きるというのはそういう未来に向かって進むことを言います。つまり、生きるってめちゃめちゃ楽しい事なのです。

 

 この世にそういう人はどれ位いるのでしょうか?殆ど見かけることは出来ないのではないでしょうか。現代人はそういう人間をバカだと呼ぶのかもしれませんね^^;

 

 しかし、二度とない掛け替えのない人生を辛く苦しいモノとなっている方がバカなのではないでしょうか?

 

 人間は明日という未来があることを知っている唯一の生き物です。だから、その未来に向かって生きるために考えることが出来るようになっているのです。

 

 言うなれば、人間であれば誰もが楽しい人生を送れるという事なのです。言い換えれば、それが出来ないのは人間ではないという事になります。

 

 何故、人間でなくなったかと言えば、学校で学びを強要され人間本来の生きる力である想像力を奪われたからという事になるのです。

 

 そして、今やそういう非人間は、そんな楽しい人生はないと思い込んでいることでしょう。まさか、学ぶのが人間であり、学ばないのは畜生にも劣ると教えられたのは大ウソだったとは知る由もないのです。

 

 楽しい人生を送らない非人間は、人間にとっても非人間にとっても、とても危険な存在となります。何故なら、非常に攻撃的だからです。今や人間社会で最も恐ろしいのは人間となっているのではないでしょうか?

 

 それは、人間自身が人間とはどういう生き物かを知らないから起こることなのです。人間は人間以外のことは割と知っているのですが、人間である自分自身を知る人は殆ど居ません。

 

 それは現実に存在し自分だからわざわざ知らなくても知っていると思い込んでいるからなのでしょう。その思い込みを吹き込んでいるのが学校教育であるという事です。

 

 人は皆違うので他人と比べても何の意味も価値もありません。

 

 しかし、今や社会はそればっかりやっているわけです。それは人間が非人間となっている証拠でもあり、それによって人間の心身は大きいダメージを被っているのです。

 

 フィジカルで言えばガンや膠原病にリュウマチという症状がそうでしょうし、メンタルで言えばうつ病などがそうでしょう。自殺ものその一つだと思います。

 

 そして、今新たに出てきているのが何度も書いているように、認知症という症状です。脳細胞が死んでいく症状であり、それは病気ではなく脳の退化現象なのです。

 

 何故退化するかと言えば、人間としての能力である「自分で考えて行動する」ことをしなくなったからという事になります。人間が何故ここまで有能になったかを辿れば分かると思いますが、そういうことを辿ることをする人はいません。

 

 学ぶとは見えること、言うなれば結果を知ることなので、それが何故起こったかは対象外となるからです。それを理解するには考えないと出来ないからなのです。

 

 従って、目の前に見えるモノしか見れない。それは当たり前と言えばそうですが、それは子どもや他の動物とおなじれべるということになるのです。

 

 人間が凄いのは、その結果からメカニズムを得ることが出来るという事です。一般にはノウハウと呼ばれるかもしれません。理論の理です。ことわりと呼びます。

 

 これが分かるから自由で無限な未来を得られるのです。如何なる問題も解決できる。要は人間に不可能はないという事になるわけです。それはきっと神をも凌ぐ力と言えるでしょう。

 

 そもそも、人間が神を作ったのですから、それは最初から分かっていないければいけないのですが・・・・何故か、神が凄いと未だに人間は思っているのです。

 

 こういう間違いが人間を壊し人間社会を壊し人間を滅ぼすのです。

 

 これから人間はドンドン悲惨な未来へと向って行くことでしょう。それが人間の運命だと思う人も多くなるかもしれません。でも、それは大間違いなのです。

 

 こういう状況に至ったのは全て、人間が人間というものをキチンと理解していなかったからなのです。その最初の一歩を間違えたことで悲劇を迎えるのです。

 

 だから、それさえ分かれば、誰もが人間に戻り楽しい人生を送れる本来の人間社会が戻るのです。何事も基本というか原理原則が大事なことは誰だって知っていると思います。

 

 そして、それは我々人間にだって言えることなのです。しかし、学んだ人は言葉だけは知っているけど意味を知らないので気づかないのです。

 

 もっと、言葉を大事にし言葉の意味をキチンと理解しましょう。そうすれば誤解が解けるのです。間違いを正せるのです。そして、人間として人間らしく二度とない掛け替えのない人生を楽しいものしましょう。