学び信者の為に、学びの最大のリスクを改めて書いておこうと思います。これがどれくらいの人に理解されるかは不明ですが。

 

 そもそも、何かを学ぶときは、その学ぶことが正しいと思うからという理由があるのではないかと思います。間違っていることを学ぶ気にはならないでしょう。

 

 一般にそれは先生や教授と呼ばれるその道の師について学ぼうとすることになります。その時点で、その師が持っている者が全てという事です。

 

 それをテストにすると100点満点という事になるでしょう。師と同じレベルになると100点満点という事です。それは、逆に言えば、師が自分の限界という事になる。

 

 評価というモノは常に100点満点からの減点方式だという事を忘れてはいけないのです。一般に師は優れており、それを超える弟子は得ません。

 

 だって、師は100点ですから、どう頑張っても100点どまりなのです。それを超えるには別の師につけば可能ですが、その別の師の力量が限界となるのは同じことです。

 

 つまり、どんなに師を変えても、それが限界として出来るだけであり、その師を超えることは出来ないという悲しい宿命を背負う事になるのです。

 

 そうは言っても、師を超える弟子が出ることだってあるじゃないか?と疑問に思う人も居ると思います、それは師の教えることを聞かなかった場合となります。

 

 自分で勝手に解釈を変えたり、自分の発想を加えれば、場合によっては奇跡的に師を超えることがないわけではありませんが、それはとても可能性が低いので普通の弟子はしません。

 

 それをやるときっと師から破門される憂き目に遭うでしょうし。そんなチャレンジ出来るのなら、そもそも学ぼうとは思わないのではないかと思います。

 

 ということで、最初の師は100点満点を持って弟子を指導するのでしょうが、当然ながら、弟子は100点満点を取ることは出来ないのです。

 

 そして、その師が引退して仮に95点の弟子が師となれば、そこに学ぶ者の限界は何と95点になるのです。こうして世代交代が繰り返されるたび学ぶ価値が下がり続けるのです。

 

 そりゃ、いきなり半分くらいまで下がれば誰だって気づくのでしょうが、時間を掛けて少しずつ下がっていくと誰も気づかないのです。

 

 しかし、最初は成果を出していた学術が、徐々に成果を出せなくなっていくという事は誰が見ても分かるのではないかと思います。

 

 こうして大学の存在価値が時間を掛けて下がっていくのです。かつては輝かしい成果を出す大学が多く在ったのに、今ではそういう大学は殆どない。

 

 マスコミは大学生の質の低下を問題視していますが、それは、大学に問題があるのではなく、その前の小学校から高校までにあると見るのが正しいわけです。

 

 そこにも教育の質を上げることで、より学ぶ人間ばかりとなり自分で考えて行動する人間が壊滅状態にあるという事です。

 

 今やこのブログでも書いていましたが、大学は研究という名の調査や観察しか出来ません。研究とは、その結果を受けて、そのメカニズムを解明することなのです。

 

 そのメカニズムを見つけるには考える力がないとダメであり、そもそも今や見つけられないメカニズムに関心はないと思います。見つけられるのは変化だけ。

 

 何が違うかを一生懸命観察して、それを統計処理して分かったと勘違いしているだけなのです。その結果、常に確率が表示されることになる。

 

 統計ですから、自ずと確率が出て来るのです。その確率を出して研究と呼んでいる。実に小学生並みの仕事をしているだけなので、度肝を抜くような大きな成果は出ないのです。

 

 それが、大学の価値を下げ、大学に行く人を減らしている。当然、通う人が減れば授業料を上げないと経営出来ないので、授業料を上げるのですが、それが更に入学者を減らすという悪循環を引き起こしているわけです。

 

 若い人たちの能力がこのように低下することは、日本にとって痛ましい未来をもたらすことになるのは当然であり、要は国家戦略の失敗が国を亡ぼすという事なのです。

 

 学ぶことしか知らない人は、何かを変えるということが出来ない。何故なら、変えるためには自ら考えることが必要だからです。後は、学ぶ対象を変えられれば変えることは出来るかもしれませんが。

 

 それは容易なことではありません。何故なら、それが正しいと信じていたことであり、信じることから裏切られることほど人間にショックを与えることはないからです。

 

 人間にとって信じるという行為はとてつもなく重いのです。生きる糧と言えるほどに。本当は自分という人間を信じさえすれば絶対に裏切られないのに、それを誰も教えないから。

 

 むしろ、学校では先生を信じるようにさせられ、偉人や故人や教授や社長と言った師を信じるように仕向けられて来たのですから。それが学びの本質なのです。

 

 そして、気がつけば小学生から成人間としての長が止まっているという現実を何時か思い知らされることになるというわけです。

 

 こういう人間を減らすためには学校教育を止めるのが一番なのです。こうしている間にも、多くの子どもたちがテストに受かっただけの教師というちっぽけな上限に抑えられ、成長を阻まれてちっぱけな人間となり下がって行っているのです。

 

 そして、答えのある問題を解けたと言って喜んでいる。答えのある問題を解く意味はないのに価値はないのに。そんなくだらない事に時間を割いている様ではお先真っ暗になるのです。

 

 我々が得べきは答えがない問題なのです。そして、人生にはそれしかない。だから教科書や参考書は役に立たない。でも、昔から教科書と参考書で生きた人間はそれを頼るのです。

 

 そして、間違った答えを選んで人生を棒に振る。二度とない人生をもっと大事にしましょう。それは終わった過去を大事にすることではなく、これから始まる夢と希望に溢れる未来を大事にすることです。

 

 しかし、学ぶ癖がつくとこれが出来ない。過去を大事にし、過去の縛られる辛く苦しい人生になるのです。学びという行動が過去を知ることだからそうなるのです。

 

 自分の行動が自分に何をもたらすのかを知りましょう。その為に学ぶのではなく、自分で考えて行動しないとダメなのです。まあ、最近はこれしか書いてない気がします。

 

 またかよ・・・と思わずに、それだけ重要なんだと取って戴ければ幸いです。