米中ではすでに無人タクシー営業中も、日本ではライドシェアすらまだ......。イノベーションを阻む要因は「技術不足」ではない!(週プレNEWS)
自動運転は始まっていたんですね・・・
しかし、日本人は実に情けなくなりました。戦争でアメリカに戦いを挑んだ世界で勇逸の挑戦者だったのに。その精神が焼け野原から奇跡と言える復興を成し遂げさせたわけで。
でも、今ではリスクを取ることが出来ない腑抜けになってしまい衰退の一途を辿っているわけです。
原因はもちろん学校教育の充実にあるのですが(これはまた後程書きます)、それに加えて異常なまでの保守化は、この奇跡を守りたいという事から始まったのでしょう。
大成功したからノーリスクノーリターンでも良い。ハイリスクを取って大きな孫出を被る方が拙いという賢い選択をした気でいるのかもしれません。
全く、ローマが滅びることや平家が滅びるのと同じで、それを知っていながら繰り返すという学びの怖さだと思います。
日本人であれば絶対に知っておくべき常識は、誰もが高校で習う「諸行無常」という事ではないかと思います。勉強気が居な私ですら、頭から離れないことですから。
私たちは常に未来という今はない世界に向かって進んでいるのです。その未来とは「一寸先は闇」と呼ばれる何が起こるか分からない世界でもあるわけです。
つまり、現実的に言えば「ノーリスク」というモノはないという事です。前に進むこと自体がリスクであるから。そして、時の流れが留まることを許さないので前に進むしかないのです。
記事にも書いてありますが、最近の自動車事故は大きな変化があります。それは運転ミスというより病気に依る事故です。意識を失う、心臓が止まると言った今や日本人の死因第2位と3位になっていることが運転中に起こる悲劇です。
こういう新たなリスクに対応できるのは運転の自動化しかないわけです。その新しい未来へ向かって進むわけですからハイリスクとなるのは仕方のないことです。
しかし、自動運転のリスクは、機械がやることですから想定しやすいわけで、そのリスクを歩行者に徹底させれば、被害者を減らすことだって可能ではないのでしょうか?
大事なのはノーリスクではないのです。そんなものはこの世に存在しないので、そんなものを求めてはいけない。それよりも、どういうリスクがあってどうすれば防げるかというリスクマネージメントが重要なのです。
簡単に言えば・・・・備えあれば患いなし という事です。
ノーリスクの最大の問題は、備えをしないことにあるという事もあると思います。こういうことはキチンと考えないと出来ないことでもあります。
学ぶ人には出来ないことになるのです。そういう点でアメリカは常にフロンティアスピリッツがあり、挑戦者の姿勢を崩すことはないのではないかと思います。
それは、夢見る人が多いという事でもあるのでしょう。
今日の日本は学ぶを強要したために、夢を見る人は激減してしまいました。そんなことをしてもお金にはならないという事を教えられたからなのでしょう。
まさにエコノミックアニマルと言われる金の亡者が増えた結果かもしれません。今後、日本人が大好きなお金を儲ける仕事はどんどん減っていきます。
それは、夢を無くして現実を重視しリスクを取らなくなったからです。今はない明日という未来を素晴らしいモノに出来なくなったという事です。
もちろん、こういう人間ばかり作ったのは学校教育であり、それを指導した国家という事になります。つまり、全ての責任はこっかにあるということ。もっと言えば、それを動かす官僚にあるということ。
主権者として最も大事なのは、その責任をキチンと官僚に取らせることだと思います。何故なら、人間から責任という言葉がなくなれば、人間は烏合になるからです。
それは人間の滅亡を招く原因となるからです。国家を動かすモノにはそれなりの大きな責任があります。もちろん、最終責任者は主権者である国民になるのですが、今はまだ国民がそれを担う力はない。
従って、それを代行した官僚が担わなければいけないのです。政治家ではありません。彼らは責任のない台本通りに踊る役者に過ぎないので。
責任者とは常に全てを仕切る裏方となります。そして、我々主権者はそこに目を向けていなければいけないのです。出来れは、それを代行させなようにしなければいけない。
それが出来た時に本当の民主主義となるかもしれません。