Quoraでも投稿を転載します。何かのお役に立てれば幸いです。
仏陀は愚か者を痛烈に批判しているのに、誰も傷つけない清い人が正しいと言っています。矛盾してるように感じるのですが、なぜ、愚か者に該当する人は傷つけていいのか説明してくれませんか?
鋭いご指摘だと思います。上手の手から水が漏るという事です。きっと、批判で人が気づくことを忘れていたのかも。いや、愚か者が傷つくことを知らないのかもしれません。
この事が人間が神になってはいけないという事だと思います。その結果、神の名によって他人を殺す行為や、引いては、神はそっちのけで自分たちで勝手に正義というモノを振りかざせれば何をやっても許されるという免罪符になり、人間世界はこうなってしまったのです。
今となっては、そういう横暴を止めることは出来ないかもしれませんね^^;
仏陀が気づかないとその下の者はみんな気づかない。昔の人のいう事を真に受けるとこういう未来になるという悪い見本になると思います。妄信はダメなんです。人間は神ではないので・・・
これが学ぶことの最大のリスクという事だと思います。この現象を「学校で勉強するからバカになる」と呼んでいます。これが人類滅亡を引き起こすことは誰も知りませんが・・・
学んだ時点で人はそれ以上上には行けないという事です。学ぶとは限界を知ることを意味するのです。学ぶとは師をもつことで、弟子になることでもある。
そして、師の教えが世界を作り、限界を作るのです。そうやって人間は学び続けることで、どんどん限界に閉じ込められてしまう。その中で醜い争いを繰り広げ、最後は共食いを始めるのです。
しかし、師から何かを学ぶことで、自分が師になる。当然、師の弟子が作る世界だから、最初の師よりは小さくなるのです。それを何度も何度も繰り返した先にあるのが、現代社会という事になるでしょう。
それはまるでロシアの民芸品であるマトリョーシカの様に、世界を開ければ開けるほど小さくなる分、中に居る人間が大きく見えるのかもしれません。
そして、その錯覚に酔いしれているのが現代人であり、その狭い世界の中で窮屈に軋轢を伴いながらもがいているわけですが、もはや身動きは取れない状態になろうとしている。
井の中の蛙大海を知らず・・・という言葉がありますが、大海を知った蛙がまさか井に戻ることになるとは、お釈迦様でも気づかなかったのでしょう。
しかし、状況は危機的であり、狭い井に閉じ込められることは、今度は全滅を意味することになるのです。全滅を目指して学んでいるとは誰も知らないとは思いますが。
