ChatGPTの激震が「大学入試」に与える影響とは? 生成AIの普及で問われる「人間としての価値」(東洋経済education×ICT) 

 

 

 AI革命が本格的に始まるようです。AIと言っても厳密には大規模言語モデルに過ぎないのですが・・・・

 

 やはり、それは教育産業から始まるのは必然だと思います。それは、資本主義を支えたのが教育事業であり、人間を働く機械にすることで資本主義は成長したからです。

 

 働く機械とは、人間の大規模言語モデル化という事であり、本物の大規模言語モデルの登場で、人間の機械的価値は一気に暴落してしまう事になるという事です。

 

 大規模言語モデルとは、何かと言えば記憶メディアと言い換えることが出来るわけで、全てを記憶することで効率化してお金を儲けようとする資本主義の根幹を支えるモノだと思います。

 

 人間を大規模言語モデルにするには、10年を超える長い期間を要するので、それは、もはや効率的ではないので、ビッグデータを最初から記憶した大規模言語モデルが作られたのでしょう。

 

 そういう風に、いきなり完成品を作れるのが機械の特徴であり、今回の大規模言語モデルという機械においては、これまでになかった学習機能を持たせたことが大きな進歩であると思いますが。

 

 学習機能と言っても画期的なことではなく、データを増やすことで選択肢を増やし精度を上げただけのことではないかと思います。何れにしても、全ては過去の情報であり、それをどんなに駆使しても未来を築くことは出来ないという根本的な問題は何ら解決できては居ないことには変わりないのです。

 

 そして、仕事をするために生まれて来た機械とは違う人間の立場が、大規模言語モデルという機械化された人間のような存在の登場で明確になるのは間違いないでしょう。

 

 大規模言語モデルの登場で、いよいよ記憶する必要が無くなって来た人間は、本来の人間の姿である想像する人間に戻れるかどうかという命題に挑むことになるわけです。

 

 大規模言語モデルVS教育業界従事者という構図が今後繰り広げられるのであはないかと思います。本来であれば、大規模言語モデルの圧勝となる戦いではありますが、果たして歴史はどうなって行くのかは誰にも分からないと思います。