「学年なし」「時間割なし」だった江戸時代の教育 識字率世界一は「多様性」が支えていた〈dot.〉(AERA dot.)  

 

 

 日本には世界に誇れるものが色々あるが、特にこの寺子屋という教育機関は秀逸だと思う。一体どういう経緯で始まったのかは定かではないが、江戸時代の文書主義が影響していると書かれているが、それでここまで出来るほど日本人は自立していたという事なのだろうか。

 

 幕府や藩が育てるのは当然ながら武士だけであり、一般庶民を育ててくれる場所がない事から、自分たちでそういうモノを作るという発想があったのだろう。

 

 まさに、自分で考えて行動することで作られたという事になる。

 

 しかし、今日に於いては、全部政府がやる。それも至れる尽くせりの教育である。そこまでやるのは国民を洗脳するためではあるが、そこまでされる国民は単に洗脳されるだけではなく、自分で考えて行動することが出来なくなるという悲しい状況になる。

 

 子どもに翼を与えていけない・・・・この意味を知らない人ばかりでだと思う。良かれと思ってやることで子どもの可能性を閉ざすことに気づかないのである。

 

 多様性を叫ぶ者は多いが、その為に教育を変えようとする者は居ない。みんなが同じ教科を同じように教わることで多様性が作れるはずがないことを分からないのだろうか?

 

 国家が教育を管理してはいけない。国家に教育を管理させてはいけない。国民が主権者として国家を統治するためには欠かせない事である。

 

 個人的には、地域に存在するPTAが管理する教育をするべきだと考える。もちろん、Tである教師はPである保護者が探して連れてくることが重要となる。

 

 教育の全責任は常に親が持つこと。その為に何を教えるのか誰に教えてもらうのかも含めて親が考えなければいけないようにすることが重要だと思う。

 

 当然、PTA単位でどういう学校にするかを自由に決めることが出来る。当然、その中には意見の対立が出て来るだろうから、意見の違いで学校を分けることは自由に出来る。

 

 それぞれ親たちが自分たちの考えを話し、理念の合う親同士で学校を作ることが出来るようにすることも必要だと思う。もちろん、教師には教員資格などは必要ない。

 

 誰もが教師になれるようにする。もちろん、親の一人が教師として子どもたちに何かを教えても良い。まさに、親と子が自由に作る学校というスタイルになる。

 

 そういう自由化をすれば、日本の教育は画期的に変わることになる。大事なのは「自分で考えて行動する」ということ。それをどうやって鍛えていくかで人間が決まるからです。

 

 その結果、日本中に色んな変わった学校が出来る。そして、そこで育つ子どもたちがどうなって行くのかが、その学校の評価となる。情報はネットやSNSなどで拡散されるだろうから、子どもたちは自分たちが好きな学校を探して行けるようになる。

 

 親だって、自分の子を通わせたい学校を探すことが出来る。もちろん、探すのがメインではなく、そういう学校を作ることが出来るということが最初に来なければいけない。

 

 こうして学園都市というモノが日本中に出来るようにする。

 

 社会の中心は子育てになると思う。子を如何に育てるかが人間にとって最大の仕事なのである。子がどう育つかで人類の未来は決まるのです。

 

 仕事でどんなに金儲けをしても人類の未来はない。仕事中心の社会では人類は滅びるのです。そんなことより、誰もが結婚して子を儲けて、その子をどんなに素敵な大人に育てるのか?

 

 その為に、全ての大人が全力を尽くす社会にしないとダメなのです。そして、みんなが自由にそれをやれば自ずとこの世界は多様性を発揮できるようになる。

 

 多様性とは自分で考えて行動するから実現できるのです。みんなで同じことを学んでも多様性にはならない。それは同じ人間が溢れることで人間同士が殺し合う人間地獄にしかならないのです。

 

 別に何を考えなくても、私たちの先祖はそれお普通に出来ていたのです。それは、誰も何もしてくれないから出来たことであり、誰かが何でもかんでもやってくれると出来なくなることでもある。

 

 私たちは今、その後者の状況にあって自分では何も出来ない無力な人間となっているのです。これ以上、子どもたちに何かをやり続けることで未来はもっと悲惨な状況になることに気づきましょう。

 

 それが分からなければ、人類は間違いなく滅亡します。

 

 子どもに翼を与えてはいけない・・・・この意味を全ての大人が知るべきだと思います。