この意味を知っている親がどれ位いるのでしょうか?

 

 今や殆どの親が色んな翼を与えまくっているわけで、その与えた翼でより高くより遠くまで飛んでいけると信じて疑わないのでしょう。

 

 しかし、それは所詮他人の翼なのです。子どもの翼ではない。寄居高く遠くまで飛べるようにでっかい翼を与えられた日には、飛ぶことはおろか、まともに歩くことさえ出来なくなるのがオチです。

 

 今や、こんな簡単な事さえ分からない親ばかりではないかと思います。問題は何故そうなるのかでしょう。

 

 きっと誰かにそれが親の務めだと言われたからではないかと思います。その誰かは身近な人もいるでしょうが、名前しか知らない人であることが多いのではないかと思います。

 

 それはテレビに出ていた有名人とかどっかの大学の教授だった利するのではないかと思います。そういう人が言えば、尤もらしいことは相当尤もらしい事となるわけで、何も考えていない親が従うのも無理はないかもしれません。

 

 小さい頃の子どもには翼はまだありません。いつ生えてくるのか、どのくらいのモノが生えてくるのかさえも分からないでしょう。それは、きっとその子にとって最も相応しい翼が生えてくるはずです。

 

 そういう翼だから、大空を自由に高くどこまで遠くへと飛んでいけるわけです。翼を与えることで、その子の本来の翼を奪い、その子が行くべきところを行けなくしてしまうのです。

 

 この差はどこで分かるのか?

 

 それは最終目的地でようやく見えてくるのです。しかし、親自身が、まだ旅の途中であり最終目的地へと到着していないので、自分たちが行動した結果を何も知らないのです。

 

 だから、尤もらしいことを話す有名人に専門家と名乗る得体のしれない人の情報を鵜呑みにするわけです。何故、それを知る者に尋ねようとしないのか?と思うわけです。

 

 自分が最終目的地に辿り着くころに既に親の姿はありません。子に翼を与えた親は当然ながら居ないのです。きっと、その頃には翼を貰ったことさえ忘れていると思いますが・・・・