51歳夫は「熟年離婚」されて年上妻から捨てられた…24年間の結婚生活を大後悔した理由(現代ビジネス)  

 

 

 昭和のオヤジたちに非常に多いのではないかと思います。私も昭和のオヤジの一翼を担うのですが、実態はこれから出てくる令和のオヤジになるのではないかと思います^^;

 

 私たちの時代は、男は仕事という時代であり、仕事をして家族を養うことが何よりも重要だと言われた時代です。それを逆手にとって、仕事さえやれば何でも許されると勘違いしたのが昭和のオヤジということになるでしょう。

 

 誰もそんなことは言っていないのにね・・・・

 

 今と違って、昔の仕事はアナログであったために大変だったのかもしれません。その分、家事も大変であったわけで、それを黙ってやっていた昭和の女は我慢強かったのかもしれません。

 

 大抵の人は、自分にしかできない仕事という発想があり、仕事に信念とプライドを持ってやっていたのかもしれませんが、私は、仕事に信念もプライドも持てなかったので、常に家族を中心に考えていました。

 

 この社会はバカな人間が作っているので非常に生きづらいわけで、そういう社会から家族を如何に守るかが自分にしか出来ない務めだと知っていたので、仕事についてそう思えなかったのでしょう。

 

 かと言って、仕事に手を抜いたことはない。むしろ、常に先進的に仕事に挑んできたと思っていますが、余りに新進的過ぎて浮いていたし、そういう状況から仕事のレベルの低さを知ると、仕事に飽きていたわけです。

 

 結婚して今月で38年、知り合ってからは48年になる夫婦がいまだに話題の尽きない笑いの絶えない夫婦として居ることは、私にとっては当たり前のことであり、そうならない夫婦が不思議でならないのです。

 

 きっと、誰もがこの人と一生一緒に居たいと願って結婚するのでしょうが、その初心を貫くことは何故か難しいのです。その最大のポイントは、仕事第一主義にあるのではないかと思うのです。

 

 何故なら、それがなかった自分がこうなっているからそう思うわけです。この世の中が生きづらいのも、資本主義というお金が一番大事な世の中だからであり、人間そのものが大事にされてないことにある。

 

 それは、夫婦に於いても家族に於いても同じであり、資本主義者は、仕事第一になるしお金第一になる。それを我々に仕込んでいるのが学校教育ということです。

 

 これは、これまでに数えきれないくらい繰り返し書いて来たことであり、学校教育は人間を幸せにしない洗脳を施す機関であるということです。

 

 幸せになれない人間を私はバカだと思っている。だから「学校で勉強するからバカになる」という本を書いているのです。

 

 実は、私たちにも危機がなかったわけではない。夫婦で事業を初めてそれが上手く行きそうな時があって、それは資本主義では褒められることなのですが、意外にも夫婦仲は良くなかった。

 

 それでも、夫婦仲の悪いと言われる一般的な夫婦からしたら、きっと仲の良い夫婦に見えるかもしれませんが・・・^^;

 

 でも、結局、その仕事は上手く行かずに失敗したのです。その時は悔しかったし情けなかったのですが、もし、あの事業が上手く行っていたら、夫婦は壊れていたのではないかと思っています。

 

 日本には「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉があり、お金が人間の縁を狂わす危険な存在であることが言われています。

 

 お金が全ての世界では、お金が人間を狂わす。人間を変えるのです。大抵は金の亡者となるのです。亡者とは、亡き者。要は死んだ人間という意味です。

 

 お金によって人間は殺されると解釈することが出来るのではないでしょうか。そして、愛で始まった夫婦がお金によって壊される。熟年離婚の裏にはそのことが隠れているのです。

 

 夫婦が壊れるのは、どちらかが亡者になることでそれは起こる。亡者と一緒に生きる意味はないのは当然でしょう。生きている人間は生きている人間と共に生きたいと思うのです。

 

 亡者の最大の欠点は、他人の立場を理解できないことにある。妻や子がどういう状況にあって何に困っているのか、何に悩んでいるのかに関心がないのです。

 

 常に、金儲けのことで頭が一杯であり、それ以外のことは気にしていないという特徴があるのです。資本主義社会で社会を牛耳っている人たちは全てそういう人なので、普通の人間が生きていくのは苦しいわけです。

 

 人間というのは実に不思議な生き物であり、それこそ仮面ライダーのようにいろんな存在に変身出来るのです。もちろん、見かけが仮面ライダーになることはありませんが^^;

 

 神から悪魔まで、自分が望むように自分を変えられる。しかし、人間は本来、神も悪魔も望むことはない。大抵は、他の人から洗脳されることで、変身させられるわけです。

 

 とは言え、それは自分の意志で変身したと思い込んでおり、それが状況を変えられない最大の原因だと言えるでしょう。自分で選んだ道の責任は自分でとるしかない。

 

 これは誰もが思うことだと思います。

 

 だけども、それは純粋に自分で思ったことではないのです。きっと、自分の意志に反してそうさせられたこと。そこには、そうすることで幸せになれるという嘘があるのではないでしょうか?

 

 しかし、亡者となって一生懸命生きてきた結果、家族から捨てられるという最低の人生となってしまったのです。

 

 そういう人を外から見ている人は、恐らく自業自得だと分かると思います。でも、渦中にいる人にそれは分からないのです。これが教育という名の洗脳の怖さだと思います。

 

 そして、熟年離婚という結論が出されて20年近くが経過した今、孤独死が大きな社会問題となっているわけです。それでも、そういうことを引き起こす最大の原因となる学校教育は、残念ながら廃止されるどころか強化されていく気配さえあるのです。

 

 他人の立場を考えられる人を育てよう見たいなことで逆に個人の尊厳を蔑ろにしている。幼い子どもたちに、大人でさえできないことを押し付けてくるという愚かな教育を施すのです。

 

 相手の立場を考えられる子はどうすれば育つのかを知らないのです。だから、のっけから相手の立場を尊重しようと声を掛ける。

 

 

 相手の立場を尊重するためには、先ず、自分の立場をキチンと保たなければいけないのです。大事なのは常に自分であり、自分を大切にさせることで他人を大切にすることを知らなければいけないのです。

 

 夫婦とは何か?それは、互いに忍耐力を鍛えることで、互いに思いやりを持てる存在となる人間関係と言えるのではないでしょうか?

 

 家族とは、学校で教えてくれない人間同士の本当の付き合い方を教えてくれる場だと思います。それは、間違った行動を取っても許されるかです。

 

 まあ、それが何でも許されると思う勘違いを助長するのでしょうが。そこに欠けているのは、自分がされて嫌なことは他人にしないという人間の最低限のルールではないかと思います。

 

 お金という権力に物を言わせるという最低の行動が、全てを壊すのです。それを実現するのが資本主義であり、それを実行する国家であるということです。

 

 日本が本格的に資本主義となったのは終戦後です。そこから、日本は全てが壊れ始めて今日に至っている。表舞台では派手な経済成長とそれに伴うモノが溢れる豊かな社会が実現されていますが。

 

 先ずはそのことをキチンと正確に認識しなければいけないのです。そうしたら、今後我々はどう生きるのかを決めなければいけないのです。

 

 人間を生み育てる基盤となる家族。そして、それを支える夫婦。その土台が壊れてしまっては人間の未来はないのです。熟年離婚という言葉は、離婚したのが熟年というだけで、本当の問題はきっと結婚当初から始まっているのではないかと。

 

 夫婦の絆を壊す亡者を如何に減らせるのか?

 

 結局、少子化と孤独死は同じ原因から始まっているということであり、その原因を如何に早く無くすかがカギだと思います。