米国でキリスト教離れが止まらない、教会の閉鎖も急増中(JBpress)  

 

 

 資本主義という宗教を世界もたらせたのは、何と言ってもキリスト教という宗教の誕生にあるわけで、今日の人類の繁栄の礎であったことは否定できないと思います。

 

 キリスト教が誕生して2000年を超えたわけですが、その歴史にも終わりが見えて来たという事でしょう。奇しくも、資本主義が誕生して200年にも満たない歴史を閉じようとしているのと重なって来たのは偶然ではない気がします。

 

 キリスト教徒は言い換えればキリスト主義であり、資本主義とは言い換えればお金教と読み替える事が出来るのではないでしょうか。

 

 そして、これらの繁栄に欠かせないのは何と言っても洗脳という行為ではないかと思います。

 

 神は居るんだと思いこませる洗脳。お金は人間よりも価値があるんだと思いこませる洗脳。洗脳はその行為から教育と読み替えられることでしょう。

 

 教会での宗教教育と呼応しているのが、学校でのお金教育であり、こうした個人に対する洗脳の賞味期限が、それぞれの支配の有効性を決めるのではないかと思います。

 

 神という実体のないモノ。目に見えないモノは信じる事でしか証明できない訳で、信じ込ませるのは難しいですが、一度信じ込ませられると、死ぬまで信じてしまうという性質があるのではないかと思います。

 

 それに対して、対照的なのがお金というモノ。その存在を目で見る事が出来るので、とても信じやすくなるでしょう。しかし、その反面、その魔力の有効期限は短い。

 

 そして、この二つが同時期に崩壊しつつあるのは、何かの洗脳がほどける時には、その他の洗脳も同時にほどけるという特徴があるのかもしれません。

 

 洗脳とは、教育とは、人を騙すことであるので、それらは真実によって同時に駆逐されるという事を示しているのではないかと思います。

 

 真実とは、神もお金も人間を救う事はなかったということです。それはある意味当たり前のことであり、何故、そのような当たり前に気づくことなく人間は騙されてきたのだろうと思うのです。

 

 人間を救えるのは人間だけ。しかし、人間を騙すのも人間だけという、二つの真実がそこにはあるからなのでしょう。しかし、前者は人間の持つ優しい心が行うモノで、後者は、人間のずる賢い頭脳が行うモノ。

 

 つまりは、ずる賢い頭脳に支配されてきた歴史という事になると思います。それは、人間が頭脳によって救われない、要は幸せにはなれないということを意味しているのです。

 

 これもまた当たり前なのですが、幸せを感じるのは飽くまで心であり、頭脳にはそれを感じる事が出来ないということを気づいていないという大きな過ちによって引き起こされた事ではないかと思います。

 

 ここまで頭脳を使って幸せを模索するという見当違いな行動を取り続けて来た人間が、果たしてこの過ちに気づくことが出来るのか?

 

 そして、人類は三度目の正直として誰もが救われる社会を気づくことが出来るのかという事になるのではないかと思うのです。

 

 何度も書いているのですが、この世界から消えていくモノは、その必要性を失ったからそうなるのであり、それが諸行無常というこの世界の掟であるからなのです。

 

 宗教や資本主義が作り出した幻想に何時までも騙されていてはいけないのです。何故なら、それらは全て嘘だから。偽物だからです。だから、この世界から消えるのは当たり前なのです。

 

 こうして我々段々と真実へ近づいていくはずなのですが^^;