「日本語ですら話が通じない日本人」が多すぎるのに、小学校から英語教育をする必要があるのか

 

 私は英語が話せない。というより外人に知り合いが居ないし、別に知り合いたくもないし、映画は吹き替え版しか見ないし、話す必要がないので話す気もない。

 

 そもそも、英語は嫌いだ。大体、日本に来る外人は英語で話しかけて来るのが気に入らない。これまで、新婚旅行でハワイに行っただけだが、それでもその時は英語で話す努力をした。

 

 妻から笑われたのだが、入管でハワイの人が日本語で聞いてきているのに全部英語で応えたくらいだ^^;

 

 他の国に行くにはそれくらいの経緯を払うべきだという考えがある。しかしながら、外人は普通に英語で話してくるのが気に入らないのだ。

 

 前置きはそのくらいにして、私みたいに飛行機が嫌いで海外に絶対に行かない人間は英語を学ぶ必要はなかったと今は思う。だが、これからは英語くらい話せないとという尤もらしい言葉で、英語を学ばされるのだ。

 

 しかし、それ以上に、母国語である日本語が大事ではないだろうか?

 

 今日、同じ日本人でありながら日本語が通じない現象というのが色んな所で見受けられる。そういう人間が英語を流ちょうに話せるようになるのだろうか?

 

 日本が嫌いで鼻から海外で生きていこうとする日本人ならば、それも出来るかもしれないしやっても良いと思うが。

 

 私みたいに日本から出る気はなく、日本語しか使う気がなければ、もっと日本語が通じる社会にすべきだと思う。

 

 日本人同士で日本語が通じない現象が何故起こるのか?

 

 それは、嘘が原因ではないかと思う。平気で嘘を付く人間が増えたことで言葉に重みがなくなり、何かを伝える機能が低下していると思う。

 

 特に、政治家や官僚の言葉にはまるっきり説得力がない。というより、場合によっては何を言っているのかさえ分からない程回りくどい。

 

 国権の中枢でそういう言葉が飛び交えば、下々は当然に更に酷くなるのではないだろうか。

 

 人間社会は言葉で作られる。つまり、言葉の乱れや言葉の意味が失われて行くことで人間社会が壊れる可能性がある。というより、今壊れつつあるのではないだろうか?

 

 しかしながら、学校はそういう肝心なことには何故か関心がない。場合によっては国家存続に関わる一大事となるかもしれないのに。

 

 そんなことより、国際人を目指して英語教育となる。それを言っているのはどうせバカな官僚と英語が喋れない政治家だろう。

 

 人間にとって言葉はとても大事なのだ。その使い方ひとつで人生は大きく変わる。世の中には思い通りに生きられない人が多いと思うが、それは基本的に言葉の使い方を間違っているせいなのである。

 

 当然、今の人生を変えたいと思うなら、使う言葉を変えれば変えられる。言葉が未来を作るからそれを変えることで未来が変わる事になる。そして、その場合に最も注意しなければいけないのは、脳が否定形を理解できないという事だ。

 

 これは以前に書いたので、割愛しておく。何れにしても言葉は物凄く大事である。それを大事に扱う事で他人を大事に扱う事にもなるし、引いては自分の人生を大事にすることに繋がるのである。