「不登校の生徒が登校率85%の奇跡」岐阜の"バーバパパのがっこう"に殺到する全国の教育委員会が驚愕の光景 担任は自分で選ぶ、トイレは1000万円で改修 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) 

 

 


>この学校の取材を通して、ある意味、不登校という意思表示ができた

>子はそれだけで一歩前に進んでいるのかもしれないと思うようになりま

>した。

 

 そう思うのなら、何故、元に戻す学校を称賛するのかな・・・・?その意思表示が示す意味を理解出来ていないんだろうね。もちろん、子どもたちもそうだと思うよ。

 

 そして、強制的に学ばせるから自由に学ばせるという形で学びを楽にすることで、また元に戻ってしまう事になるんだよね。

 

 少なくとも、20歳くらいになるまでは一切学ばせない。学ぶとしたら事故が確立した後での話だと思う。その前に学ばせると、間違いなく自分を見失うから。

 

 不登校の子どもたちは、そのことが察知出来ているんだけど、それを説明する言葉を知らない。だから、目先を変えられれば一旦は行けるようになるだろう。

 

 しかし、しばらくするとまた拒否反応が出るだろうね。それが何時になるかは分からないけど、教師はそれを見ることはない。教師が見るのは基本単年であり、長くても3年ってところだろう。

 

 だから、彼らは自分の目が届く範囲で上手く行けば良いと考える。その間、子どもたちを騙しておとなしくさせれば良いのである。その性質は詐欺師のそれと同じだと言える。

 

 もちろん、中には将来を見据える教師もいるが、それでも責任を取る教師は居ない。子どもたちは、何の責任も取らない大人たちの言いなりに生きて、そこで被った全ての事に責任を取らされるという理不尽極まりない教育を受けるのである。

 

 だから、そういう教師に子どもを預けてはいけないのだ。その責任が取れるのは親だけであり、親になるというのは、その重い責任を担う事を覚悟することが必要なのである。

 

 そういうことをしないから、世の中無責任大人が溢れるわけで、その結果、こういう酷い世の中が出来上がるという事になる。

 

 学ぶという行為の裏には、無責任社会が出来上がるという要素が隠れているのである。他人から教えて貰ったことに自分が責任取れない様に、学んだ人は責任感がない。

 

 それは、日本で一番学んだ教授や官僚や政治家に責任感がないことで分かるのではないだろうか?

 

 人間は自分で考えた事のみに責任が生じる。だから、責任を取りたくない人は他人の考えたことをやろうとする。そして、それを会議に掛け了承されれば何をやっても責任はない事になる。

 

 その結果、今や、学校にも企業にも国家にも責任者は居ない。居るのは責任を取らない口先ばかりの詐欺師だけである。そういう世界が良くなるわけがないだろう。

 

 こういう世界にしたのは間違いなく学校である。これまでは知らなかったで済ませられても、今後はそれでは済まない。何故なら、人間が滅びるからだ。我々は命を持って責任を取らされるという事なのだ。

 

 100万年以上の歴史を持つ人類が、たった2000年の内に、ひ弱になって責任を取らなくなって、他人を騙すことしかしなくなったせいで、その長い歴史に幕が下ろされるのである。

 

 責任という言葉は実に重い。そして、それから逃れることは出来ない。何故なら、最期に命を取られるからだ。その中でも他人を騙して生きる詐欺師が一番きついと思う。

 

 何故なら、詐欺師は皆脳が消されるから。他人を騙す詐欺師は最初に自分を騙すことが出来なければなれない。そして、自分を騙すことで自分を殺す事になることは既に書いている。

 

 自分が脳から消えると、その領域も脳から消えることになる。非常に恐ろしい現象だが、それは確実に進行していく。そして、最期は脳死状態となる。自然の摂理に逆らえる人間は居ない。

 

 自然に通用するのは正直だけなのだ。何故なら、自然とは正直の産物であるから。自然に嘘は無いからである。自然から生まれた人間だけが自然に逆らえる力を持っているが、それをやると人間は自然界から消されることになるのである。

 

 もっと言葉を大事にすべきだと思う。言葉の意味をしっかり見極まることだと思う。そこにやるべきことが書いてあり、やってはいけない事も記されているから。