奨学金返済に苦しむ若者たち 「私のようになってほしくない」と子どもを諦める人も(1/3)〈AERA〉 | AERA dot. (アエラドット)  

 

 

 

 日本も凄いが米国は更に酷い。確か日本の国家予算を遥かに超える奨学金が貸しつけられている。その恩恵を受けているのは大学に行く学生ではなく、大学である。
 
 特に、日本の大学は政府からの支援を受けた上で、更に貧しき者の奨学金からもお金を得ている。
 
 どんな放漫経営をしているのだろうか?
 
 そして、今や大学を出てもまともな仕事はない状況となり、奨学金の返済が厳しくなって来たことを受け、返済を免除する動きが出てきている。
 
 奨学金とは何なのか?学ぶためのお金であることは誰でも分かると思いますが、学ぶという事の意味を誰も知らない。ここに来る僅かの人たちには自明となっていますが、自分を殺すことを言うのです。
 
 自分を活かすために借金するのは良いかもしれませんが、何故、自分を殺すことにお金まで借りるのか?これが、資本主義という宗教の恐ろしいところではないかと思います。
 
 投資という言葉を借りて、自己投資を考えている人が殆どだと思います。しかし、それは例えば、自分が企業オーナーの子どもで、その後を継ぐために大学に行かなければならない人が大学に行くことを投資と呼ぶのです。
 
 分かりやすいのは医者や政治家の世界でしょう。
 
 でも、実際は多くの場合、その先の職は用意されていません。もちろん、自分が目指す仕事はあるでしょうが、そこに採用される保証はない。そういう保証のないどうなるか分からないのは投資ではなくギャンブルとなるのです。
 
 従って、大抵の人は負ける。もちろん、高度経済成長期であれば、報われる人が多いでしょうが、経済衰退期にあっては可能性はゼロに近いと言えるでしょう。
 
 そういう可能性の低い事にチャレンジすることは決して悪い事でありませんが、その責めを負わされるのは覚悟しておかなければいけないです。
 
 愚かな教育関係者と官僚が、勉強すれば豊かになれるという大昔の成功事例を未だに信じていることが最もいけないことは言うまでもありませんが、そういう言葉に騙される方にも問題はあると思います。
 
 あれと一緒です。服屋に行って高い方の洋服を似合っているとか褒められて、当初買う予定だったものとは違うモノを買ってしまうって奴です。
 
 結局、学校教育で小さい時からやる気を持たされ、やりたくないことをやってきた結果、自分が本当に何がやりたいのか分からないから、とりあえず良い方を選んでしまったという事です。
 
 そして、最後に発する言葉は「こんなはずじゃなかった」となる。
 
 では、その間何をやらされていたかと言えば、教師や教授に仕事を与え生活を支えていたという事です。子どもたちが学校に行くことで間違いなく潤っている人は誰なのか?お金の流れを見極めるのです。
 
 大人になって仕事をするようになったら、この事が分からない様では資本主義社会で生きていくことは出来ないかもしれません。
 
 そして、私はしませんが、お金が欲しい人は、お金を払う側ではなく貰う側に居ないとダメだという事になる。しかし、生きていけば分かりますが、私たちは常に払わされるのです^^;
 
 話が少し逸れましたが、これからは奨学金など当てにしてはいけません。というより、学校なんか行っては生きていけなくなる。教科書がないと動けない人間には辛い社会になるからです。
 
 何かを学んで生きるのではなく、自ら何かを考えて生きる。これがこれからの時代のコンセプトとなるでしょう。本来、人生に教科書は無いから、社会は本来の姿に戻るのではないかと思います。
 
 つまり、この200年程、いや、宗教誕生から2000年程は、人間にとって嘘の世界だったという事になると思います。煌びやかな大都会を見てそう思える人も居るのではないかと思います。
 
 こんな世界が長続きするわけがない。そして、人間が人間らしく生きていける社会に変わっていく。あの大都会は人間ではなく機械が住むところだと思います。
 
 あの大都会を築くのにどれだけの人が苦しんだのか?その結果として多くの貧困層が生まれているのではないでしょうか?
 
 そういう人たちを見て何とも思わない機械人間は、後数10年で地球から消えていくことになるでしょう。そして、残った人間たちが、新しい社会を作る事になるハズです。
 
 その時に間違っても同じ過ちを繰り返さない様に学びと止めなければいけないと思います。