「子供は贅沢品」なのか? いまや圧倒的少数派である子育て世帯に突きつけられる危うい未来 | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい
遂には、子どもがモノ扱いにされてきました。人間の評価がお金でされるようになった頃から、そうなっていたのではないかと思います。
そして、問題は、人間をモノ扱いしていることに違和感がない事。
この柔軟性?には驚きを隠せないのですが・・・・
しかし、資本主義に学校に国家という現実に存在するモノから人間を見た時に、そうなるのは必然だとも思うわけです。だからこそ、この三つを壊すことが非常に大事であると思うのです。
モノというのは何れ劣化して壊れていく。これが、人類の滅亡に繋がると踏んでいるわけです。しかし、人間は生き物です。だから、命を繋ぐことで永遠を手にすることだって可能なのです。
とは言え、100年も生きられない人間が、それをイメージできるかどうか。そこが出来れば全ては変わる気がするのですが。
自分が今、この世に存在しているという現実が、命を繋げたけっかであるということを。遠い過去から命を繋げられたから、今自分がココに居るということを。
だから、その命のバトンを未来へと繋げなければいけないことを。そして、その命を繋げることで未来が開けることを。
モノに未来はありません。未来は命あるものにしかないのです。