パソコン市場、過去数十年で最悪の落ち込み | JDIR 

 

 

 

  コロナ禍で売れた分落ち込みが必要以上に膨らんだのでしょう。特需という一過性の需要喚起は結果的に企業を潰す事になるのではないかと思います。

 

 かと言って、普通に落ち込む売上は二度と戻ることはありませんが。後は、市場収縮が続く限り、毎年下方修正を迫られ、リストラに追われる日々を送らされるのです。

 

 従業員も今年首が繋がっていても来年の保証はないし5年先など想像することさえ出来ないと思います。

 

 かつての経済成長に依ってもたらされた財は、これから本格化する衰退に依って奪われる事になるのではないかと思います。

 

 成長によってもたらされる未来を想像することは容易いですが、衰退によって奪われる未来を想像することは難しいでしょう。20世紀末に登場したパソコンですが、その発展と衰退は、経済の行く末を見るのに格好の商品となりました。

 

 そして、これからは全ての商品で同じことが起こってきます。本当は、コロナ前から始まっていたのですが、コロナがそれを先送りにした形になりました。

 

 何度も書いていますが、発展しか知らない我々が衰退を想像することは難しいし、従って、パニックを引き起こしやすいと思われます。

 

 そして、資本主義はこれから私たちに牙を剥いて来る。これまで資本主義が与えたモノを奪いに来るでしょう。そうやって資本主義そのものをこの世から消し去る訳で、それと一緒に人間が消し去られない様にしなければいけないと思います。

 

 それはどうすれば出来るかと言えば、その例えに老化していく人間の考え方で説明できるのです。老化とは人間が死ぬために起こる事です。生まれて成長する中で与えられたモノが奪われて行く。

 

 特に顕著なのはフィジカル面のこと。体力に筋力、瞬発力など、若い時にあったモノが時間と共に失われて行く。それに対して、老人がどう考えるかというのに二つのタイプがあります。

 

 一つは失われるモノに嘆くタイプ。もう一つは、そういう中で与えられるモノに目を向けるタイプです。タイプというより考え方と書いた方が分かりやすいでしょう。

 

 若い人から見れば、歳を取って老いていく中で与えられるモノがあるの?と不思議に思うかもしれません。一番分かりやすいのが時間です。それは長生きした分だけ与えられ続ける。

 

 その時間で何をするかにもよると思いますが、一番有難いのは美味しいモノを食べるではないでしょうか?人間最後は食欲なのです^^;

 

 それともう一つ忘れてはいけないのは、考える力=想像力です。確かに廊下によって記憶力は衰える。特に新しい事を覚えられなくなるという状況はありますが、記憶を必要としない考える力は衰えません。

 

 むしろ、経験がある分、若い時よりも広範囲の視野があり、考える力は生きている間中成長し続けるのです。60を超えた爺さんが、若い人では考えつかないことをこうやって書いていることでそれは証明されるのではないでしょうか。

 

 ただ、筋肉と同じで常に使っていないと衰えます。だから、私はこうやって考えを巡らせているのです。ここ以外にも複数のサイトで小説を書いている。

 

 モノを書くという行為こそが考える力を鍛え想像力を養うと経験上知りました。だから、私は老いることが楽しみで仕方ないのです。老いるというより、時を重ねることが楽しみであるという方が正しいのですが。

 

 私が老いた分、子や孫は成長する。そして、彼らの成長に私が約な立てるという事があるわけです。今や推しがブームでありますが、私にとっての推しは家族だと言えるでしょう。

 

 子や孫が居るから生きていけるのではないかと思います。これから起こる多くの苦難を苦難で無くす術を知っている老人が居ることで彼らの大きな力となるでしょう。

 

 少なくても、私にはそういう祖父は居なかったので^^;

 

 でも、嘆く方の老人にはそういうことは出来ないと思います。人間が死ぬのは当たり前の事です。それと同じように世界が変わっていくのも当たり前の事なのです。

 

 そして、全ては向上していくのです。物事を良し悪しで見たくはないのですが、間違いなく世界は良くなっているしこれからもそれは変わらない。だけども、それを認識できる頭脳がないので、それを活かせないのです。

 

 お金という便利なモノで世界は驚異的に便利になりました。我々人間が楽に生きていける環境を作ることが出来ました。それによってお金の使命は終わったのです。

 

 だけども、それを理解している人は居ない。便利になったお金をいつまでも後生大事にしているわけです。その脳の無成長が世界を悪くするのです。恐らく、このまま行けば人類は滅びるところまで来ている。

 

 学校教育で学問信仰を作ったために、世の中は嘆く老人ばかりになってしまい、時代が進める変化を受け入れられない愚かな結末へと向かおうとしているのです。

 

 何事にも意味や目的がある。そして、それを忘れることで全てはおかしくなるのです。人間が生きる目的は何なのか?お金の目的は何なのか?学問の目的は何なのか?

 

 今一度原点に戻ってリスタートする時ではないかと思います。