資本主義を脱して新たな世界の原理は、人間主義というものになるべきだと考えます。人間社会ですから当然のことであり、何故誰もそのことを考えなかったのかが不思議なわけです。
そして、人間主義を支えるのが思いやりとか優しさであり、もちろん、資本主義にそれが全くないわけではないですが、主ではないことは確かでしょう。
私のブログを読んで来られた方ならお分かりと思うし、既にそのことはどこかで書いたと思うのですが、この資本主義を支えるのはお金ではなく主義であり、それは考え方に他ならないのです。
それを築いているのが改めて言うまでもなく学校教育ということです。「学校で勉強するからバカになる」でも書いたように、学校教育で育てられるのは本来の人間とは大きくかけ離れた働く機械です。
そして、幼稚園から煽られる競争意識。運動会から教科に於ける成績まで我々は常に誰かに勝つことを強いられるのです。その競争意識が資本主義を支えている。
他国に負けるな!他社に負けるな!そして、他人に負けるな!
これによって、他人より良い地位や収入や生活を追い求めさせることで、尽きない欲望が作られ競走馬の様に働かされる仕組みなのです。
それに依る良い面も悪い面も周りを見れば分るでしょう。良い面だけを求めるなら、資本主義に留まれば良いし、悪い面が嫌なら資本主義を捨てれば良い。
私は、別に脱資本主義を押し付ける気はありません。自分の人生は自分のモノであり、自分で考えて行動することが大事だと思うからです。ただ、幼い頃から躾けられた資本主義思想が自分を苦しめていることを知る人は少ないとは思います。
しかし、他人がそれを気づかせるのは非常に難しいわけで、気づいた時に変えれば良いと思うのです。
そして、当然ながら脱資本主義における人間主義を実現するために欠かせないのが、脱資本主義教育となります。
その根本思想は、人間同士を争わせないということです。争う事でのデメリットは多いですがメリットはない。そして、最大のデメリットが人口減少に依る人類滅亡であることはご承知の通りです。
この広い地球に於ける人間の生活域は実に限られている。狭い場所に閉じ込められれば必然的に争いが起こるのに、何故広がらないのでしょう?
例えば、国土が狭いと思われる日本でさえ、人が住んでいない地域はとても広い。都心に空き地はないけど、地方は空き地だらけでしょう。
脱資本主義教育に於いては、先ず集中を避けるという事があると思います。広い空間に解き放たれれば他人と争う発想は起こらない。それはつまり、人の多様な価値観を発揮させれば争いは起こらないという事です。
みんなに同じ内容の教科を教えるから競わせることが出来ますが、そういうモノがなければ誰も競おうとはしません。個々人の興味に任せて自由にさせることで、互いの違いや互いの凄さを実感できるでしょう。
資本主義教育の根本原理は集めることにあります。同じ教科に同じ未来に人々を集めることで競争意識を生じさせる。そして、そこで出た優劣という何の意味も価値もない評価で全てを決める。
そんなくだらない事をやるからくだらない人間が出来、くだらない社会となるわけです。
そして、互いに違う事をやれば互いの必要性が高まるでしょう。そうすれば、互いに助け合い思いやる気持ちを大きくなる。何かに優れていることが大事なのではなく、誰もが居ることが大事であることを知ることが大事なのです。
これこそが人間中心社会の原則であり、こうした考えが資本主義を壊し人間主義へと変える力となると思います。
この世界は物凄く広い。そして、それを一人で全て知ることは出来ない。だから、全ての人が必要であり、それぞれの個性が集まることで全てを知ることが出来るという発想です。
こうした考えが定着すれば人間界は更なる発展を遂げることが出来ると確信するのです。何故なら、今使っている人間の力はホンの一部に過ぎないから。
お金というモノが人間を狭い世界に閉じ込めてしまうので、広い世界へは飛び出せないのです。一人の人間の力は所詮限られたモノですが、その力が集まることで人間は無限になる。
だから、争っちゃダメなんですよ!
そのことさえ分かれば、そのことが実現できればどうなるのか?それは想像を超える世界が出来ると思うのです。最近、ビジネス界では盛んにコラボレーションをやっていますが、お金の縛りがある内は、そんなのは子どもの遊びみたいなレベルで大して成果は出ないでしょう。
大事なのはこの広い世界を如何に堪能するかであり、まだ見ぬ世界は山の様にあるのです。この世界が最高であると思う人は居ないでしょう。ならば、まだ見ぬ世界の扉を開けるべきではないかと思うのですが・・・
