〉社会問題を考えられるのは、恵まれた環境に
〉いる学生だけ?
ということで、かつての団塊世代は学生運動に奔走したわけです。しかし、途中から手段である闘争が目的化し成果を上げる事が出来ずに挫折した。
そして、その敗北感は主権を捨て、事もあろうに社畜となって国家に従順するという有ってはならない大逆走を引き起こし今日の日本を作ったのです。
その後の学生たちは、彼らがトラウマとなりまともに向き合うことをしなくなってしまい社畜を選んでいく。社会の為の闘争が会社の為の逃走へとダウンサイジングされた訳です。
あれから半世紀が経ち、若者は社会を考えることをしなくなっている。そこには学校教育の恐るべき力が加わっている訳で、余りに強大すぎて見ることさえ出来ないと思う。
お金に縛られた奴隷と手足を奪われた若者。コレが今の日本ではないかと思う。
このままでは資本主義の没落と共に国家も滅び日本人も滅ぶしかない。日本沈没は地殻変動で起こるのではなく、人が育たないことで自滅するのです。
人間社会を決めるのは人であり、良い社会も悪い社会も人に依って作られる。誰もが自分の事しか考えず、未来の為の人を育てて来なかった事が、日本人を自滅させるのです。
コレは、日本だけに限らず世界中で起こっている。だから、人類そのものに危機が及ぶことになるのです。
国家が扱い易い人間を育成した為に、自分で考えて行動するという人間が育たなかった。ソレが致命傷になるとは気づかなかったのでしょう。
人が生きる為に社会があり国家があるのが本来の姿なのですが、社会や国家を守る事に重きを置いた事で、人を育てることを怠った結果です。
そう言えば、「チャンと教育してるだろう」と反論が来るのですが、教育で人が育たないのは火を見るより明らかであり、そういう現実を目の当たりにしながら、未だにそういう事を言うこと自体何も見えていないし考えていない証拠だと思います。
人は何もない自由の中で、自分で考えて行動する唯一の生き物であり、ルールや制度や命令で動くのは機械なのです。
人を育てる教育は殆ど無い。大抵は、働く機械を作るだけであり、そういう人たちにとって社会は遠い存在なのです。
自由に考えて行動できる若者のみが社会を変える原動力となり得ると思います。何もない真っ白なキャンバスでないと未来を描くことは出来ないでしょう。
しかし、今では何もない真っ白なキャンバスに価値を見い出せる人はいない訳で、何もないことは劣ること恥ずべき事になっている。
そして、何もない事を隠すために様々な装飾を施す始末です。その為に貴重な時間を費やしている。
大人がそうするから若い人も真似るのだと思います。こうして幾重にも重なる現実が社会を暗くしているのではないかと思います。
誰もが正直にありのままになれば、無駄な時間を減らして有意義に時間を使えるのかもしれませんが。
その為には何が有意義であるかを考える力がないと、結局、別の無駄な時間を使うだけで、何の成果も成長も得られないと思います。
ある意味、八方塞がりではあるのですが、まだ手は有ると考えています。でも、やはりここに至って全国民を救うことは難しいと思うし、今はそこには拘りません。
大事なのは全滅を避けること。その為に出来る事はむしろ山のようにある訳で、その方向でプロモーションを掛けていこうと思います。