人はよく「自分探し」という言葉を使います。
しかし、何故、「自分探し」をしなければならないのか?については考えない。そこを突き止めなければ折角自分を探せてもまた見失うことになるのにね。
世の中に確固たる自分というモノを持っている人はすくないのではないだろうか。だから、私は他人と話が合わない。もちろん、大人だから合わせることは出来ますが^^;
自分探しの為に、旅に出たりする人もいる。映画を見たり本を読んだりする人もいる。私から言わせると、何故、自分を探すのに他所に目を向けるのだろうと思うわけです。
幸せの青い鳥という話はあまりにも有名ですが、それと同じことを平然とやっているわけです。そんなことをしても永遠に見つかりはしない。そんなことして喜ぶのは映画製作者だったり映画館だったり、旅行業者だったり旅館だったりではないでしょうか。
本の中にも書いていますが、上手い事資本主義を活気づかせる駒として使われているわけです。もちろん、分かった上でやる分には良いのでしょうが・・・・
自分を探したいなら自分を徹底的に見つめるしかない。自分以外のモノに目を奪われるようでは見つからないのです。私から見れば、自分探しという言葉を使っているだけで、探す気はないのではないかと思うのです。
まあ、こういうところで話が合わないわけですが^^;
ここで賢い方ならお気づきになられると思います。何故、人は自分を見失うのかということが・・・・
そうです。自分自身から目を逸らされるからなのです。その代表格が学問であり、他人から学ぶという教えと言えるでしょう。他人から学ぼうと他人を見ている内に自分を見失う。
ミイラ取りがミイラになるような感じです^^;
こうやって、人は騙されていく。本来の自分を誰かの都合の良い自分へと差し替えられ、不安と不幸に苛まれる無限地獄へと落とされるのです。
そこで救いを求めようと宗教や国家に縋っていく。こうして永遠なる奴隷となるわけです。他人を騙し自分が地獄から這い上がろうとする。地獄から這い上がるために他人を利用する。
これが地獄の日常と言えるでしょう。後は、これに慣れるかどうかなんだと思います。昨日、「政治も宗教も、もはやオワコンなんだから」の補足となります。
人は本当の自分さえ持っていれば、一人で立つことが出来、政治や宗教に縋ることはありません。そういうモノは必要ないのです。いや、むしろ邪魔になるハズです。
未だにそういうモノを必要としているということは、この2000年の間殆ど成長していないということなのだろうと思います。いや、むしろ近年においては劣化・退化が進んでいるようにさえ思えてなりません。
誰もがしっかりと自分を持てば、この世界は素晴らしいモノになると思います。何故なら、人間という生き物は、他の畜生とは違ってそれほど素晴らしい生き物だからです。
死んでから天国に行こうと考える人は多いのですが、死んだ先に天国などありません。天国とはこの世で作る以外に行けないのです。そして、人間本来の資質さえ取り戻せれば、それは可能だと考えます。
幸せを外に探しに出てはいけない。そこには我々を不幸にする罠しかないのです。幸せの青い鳥を是非思い出して欲しいと思います。全ての答えは自分の中に埋まっているのですから・・・・
