結局「学校で勉強するからバカになる」という本を書いたのは、「学校教育を止めよう!」という事なんですね^^;

 

 という事で、その理由を書いておきます。

 

 この本で書いた「バカ」というのは、本を読めば分かるのですが、自分を幸せに出来ない人のことです。仕事が出来ないとか、勉強が出来ないというのを一般には「バカ」と呼ぶのでしょうが、それは、人間として「バカ」なのではないと思うのです。

 

 私たち人間は、幸せになるために生きている生き物です。そういう生き方をする唯一の生き物と言っても良いでしょう。だから、他の生き物と比べることが出来ない。

 

 そして、厄介なのは、幸せが全員違うという事です。つまり、それは教えることが出来ないものなのです。それに対して、学校教育は答えは一つであり、だから教えることも出来る分けです。

 

 そういう環境にいる、幸せも一つであると勘違いする。そうさせるのが学校の狙いだとも言えるでしょう。だって、みんなが違う幸せを目指し始めたら社会はどうなるの?

 

 引いては、国家はどうなるの?となるわけです。つまり、我々が固有の幸せを見つけ目指すのは、国家からすれば迷惑な話であるということ。

 

 それは、会社においても同じであると言えるでしょう。私たちは自分の人生を生きるのではなく、国家の都合よい、或いは会社に都合の良い人生を送らされるために学校教育や社員教育を受けさせられるわけです。

 

 そんなこと分かってるよ!と言われるでしょう。そんなこと言ったって会社で仕事しないと生きていけないから仕方ない!と言われるでしょう。」

 

 確かに、これまではそうであったと思います。資本主義経済ではお金が無いと生きていけない。もちろん、そうしむけているのが国家なのでありますが、その話は割愛します。

 

 しかし、科学技術の進歩は、我々から働く仕事をどんどん奪っていくのです。それをして仕事を取られたらどうしようと心配する人も多いわけですが。

 

 取られると言うのではなく、普通に働く必要が無くなっていると取るべきではないかと思うのです。つまり、社会のパラダイムが大きく変わり始めるという事です。

 

 そういう環境にあって、果たして学校教育が必要なのか?ということを今一度冷静に考えて欲しいと思うわけです。

 

 働いてお金を稼がないと生きていけない社会は、働く仕事は無くなれば消滅します。だって、働きたくでも仕事ないわけですから。

 

 そうなると、現実には働かなくても生きていける社会になるわけですが、今の社会システムではそれが維持できないわけです。従って、そういう状況で生きていける社会システムの構築をすれば良いのですが、学校で勉強してバカになっている人たちにそれが出来ないのです。

 

 勉強とは真似ることであり、想像することでないので、新しいシステムを想像する能力が無いのです。このまま学校教育で教えることを優先すれば、永遠に新しいシステムは出来ないでしょう。

 

 これを防ぐためには学校教育を止めることが必要なのです。これが一つ目の理由。

 

 そして、もう一つが、私たちが幸せになるためです。学校教育は労働機械をを作る為にあります。人を機械に変えるためには、そうすることで得られるインセンティブが必要であり、それが、お金と地位と名誉であるのです。

 

 しかし、それらのモノで幸せになれる人は殆どいません。何故なら、それらは架空のモノだからです。ある一定の条件でしか実現できない。例えば、不祥事が起これば一発で消え去る。

 

 震災等の自然災害では何の意味も無くなる。非常に不安定で不確かなモノなのです。そういうモノを幸せの対象とするために学校教育はあるわけです。

 

 そうやって、自分が改造されることによって、本当の自分は消え去り、本当の幸せも消え失せてしまう。多くの人が苦しむのはこのためなのです。人生が修行の場みたいになるのはこのためなのです。

 

 学校教育を止めることによって、こうした状況は無くなる。幼い頃より「本当の自分」を大切にする習慣を持っているので、本当の幸せが手に入るのです。

 

 幸せが何のために必要なのかは、別なところで書いてますのでここでは割愛します。ただ、こうやって誰もが幸せになれるとどうなるのか?

 

 何故、誰もが幸せになれるかと言えば、それは人が皆違うからです。実はそれを学校で揃えるから誰もが幸せにはなれないと思わされる。こうしたことも大きな弊害と言えるでしょう。

 

 何故なら、それが妬みは僻みや不満の元にあるから。学校教育を止めて誰もが違う幸せを目指すようにならば、人々を争いは無くなるでしょう。それは、犯罪や病気が無くなることに通じるのではないかと思います。

 

 人生100年時代と言われながらも、ガンや痴呆など病気はどんどん増えるばかりで、そうした病に苦しむ長寿は楽しくないでしょう。

 

 資本主義が作る過酷な競争社会は、犯罪を生み病気を増やす酷い環境ではないかと思います。そうした酷い環境の根源となっているのも学校教育なのです。

 

 今皆さんは将来に明るい展望をお持ちでしょうか?

 

 この状況でも明るい展望を持てる人は少ないと思います。

 

 こうした状況をもたらすのも学校教育なのです。だから、これを止めることで未来は大きく好転すると思います。進化する環境を享受できる当たり前の世界へ変えるべきであり、そうした発想をもたらすためには学校教育が障害になるのです。

 

 前回書いたように、150年ほど前に福沢諭吉は、学問をすること、教育をすることで世界は良くなると思っていたと思います。しかし、あれから150年の歳月が経とうとする今、それをどう結論付けるのかが迫られている。

 

 明治のころには想像すらできなかった環境を得ている割には、我々の置かれる状況は明治よりは悪くなっているのではないでしょうか?

 

 そう言えば、明治以降、学校教育の導入により、日本人は戦争をはじめ目を覆いたくなるような状況に何度も遭っているいるのではないでしょうか?

 

 学校教育がもたらす功罪をキチンと検証し、再考すべき時ではないのかと思います。私は、上記の観点から廃止を求めたいと思います。

 

 という事で、こうした文字による啓もうを今後とも続けていきたいと考えています。