このブログでは、活動報告と合わせて、資本主義について考えていきたいと思います。何故なら、「思いやり社会」という資本主義と対極にある世界を築くにあたって必要だと思うからです。
資本主義については「学校で勉強するからバカになる」の中でも触れています。端的に言えば資本=お金、主義=宗教で「お金教」と直訳することが出来るのではないかと思います。
資本主義社会にあっては、お金が神様であり何でもかなえてくれる力を持っている。だから、人々はお金に人生を捧げるわけです。
そのことに対して何ら批判するつもりはありません^^;
ただ、この資本主義の最大の問題は、お金をどうやって手にすることが出来るかという点だと私は思います。お金というモノを発行しているのが国家であり、言い換えると、国家が国民をお金で動かしているとも取れるわけです。
そして、その国家は、国民にお金をあげることはない^^;
貰えないモノは当然奪うしかないわけです。この原則が、人々を過酷な競争社会へと誘うものであると思います。基本的にはどう奪うかと言えば、お金を持っている者を騙すしかないでしょう。
この騙しが上手い人ほどたくさんのお金を得ることが出来る。しかし、騙すのにはルールがあり、そのルールに則って騙さなければ犯罪者になる。
私から言わせれば、それは奇妙なルールだと思います^^;
100円で作ったモノ、仕入れたモノを、如何に高く売るか?こう書くと語弊があるので、100円で売るモノを、如何に安く作るか、或いは仕入れるかとしておきましょう。
こうすると、何となく努力した感が出るのではないでしょうか?
言葉巧みに相手を騙す!これが資本主義社会で生きていくために欠かせない資質であると私は思います。これが出来ない人や下手な人が貧しくなるということです。
そして、資本主義のもう一つの特徴が、こうした差による対立ではないかと思います。出来る者と出来ない者の差からくる対立。この対立が無ければ、実は資本主義は維持できないのです。
差は欲望を掻き立て、対立は競争を生み出すでしょう。
出来ない者が出来るようになりたい!持たない者が持つようになりたい!こうした欲望に火をつけているのが、実は学校教育なのです。
何かを教えるということは、必ず理解に差が出ます。そして、簡単なことを教えれば教えるほど、その差とそれを克服する術が求められるのです。そこに競争意識が芽生え、それがやがて競争社会を作り過酷にしていく。
この意識があって初めて資本主義が維持できるわけです。資本主義を経済原理と信じている人が多いですが、我々の人生に関わってくる以上、単なる経済原理ではないことを知るべきだと思います。
資本主義は、我々人間を飽くなき欲望とそれを元にした競争原理を使って国家の奴隷とする魔の奴隷システムなのです。
その功罪については、功は一つしかなく、それは物質の豊かな世界を構築できるという点です。改めて説明するまでもなく現実が証明してくれるでしょう。
問題は罪の方であり、その最大の罪は、人類を自滅に導くということ。
そこに至る流れとして、人間の奴隷化、或いは機械化があるでしょう。何でも出来るお金の為に人間が働く奴隷、或いは働く機械に変わることで、起こるのが少子化という現象です。
そして、過酷な競争社会によって、人間が病んでいくことです。ガンや痴呆など原因不明の病気が多発する今日、過酷な競争によってもたらされる闇は相当に深いと思われます。
だからこそ、人類が生き残るためには、資本主義社会との決別が欠かせないのですが、一方で資本主義社会にどっぷり漬かっている人たちは、資本主義社会でないと生きれないという現状もあるのです。
後は、資本主義社会で生きられない人が、新たな世界を築くことで人類を滅亡から救う以外に道はないと考えています。そして、そういう人たちが新たに作る社会が「思いやり社会」となると考えているのです。
そして、このブログを通して「思いやり社会」の作り方を検証していければと考えています。