今、その中にいらっしゃる方からリプログ頂きました。

ありがとうございます。

ご心中、お察し申し上げます。


お見送りは、点ではなく線です。

やはり、呼吸が止まる瞬間が、見送る側としては一番よくわかりますから、その時にいることが大事なことのように一見思えます。気持ちはとてもよく理解できます。

一方、人の死は連続的なものであり、死の確認はあくまで便宜的に決めているに過ぎません。

現代の医学では、呼吸が停止したのちも、一切の言葉が届いていないかを保証することはできていません。

またどれくらいの感覚が、死を前にした方に残っているかも完全証明できていません。

呼吸停止の前も、そして後すらも、言葉は届いている可能性は常に残されています。

実際、これは反応しているのではないかというリアクションを認めることもあり、思っている以上に届いている可能性すらあるでしょう。

したがって、死に目に会えないということはまずない、と私は考えます。

幼子は眠った瞬間よりも、その前、眠りにつく前に親の顔を見て安心するのではないでしょうか。

眠りにつくその前にいれば、それが安心の感覚となり、眠れるのでしょう。

眠ったまさしくその瞬間にいることだけではなく、見送る側ができていることは大変多いのだと知って頂けたらと、看取りの現場を数々経験してきた私は思います。

リアクションはなくても思いは届いています。

安らかな時間を祈ります。