まだまだ誤解が多い終末期鎮静

 

残念なことですが、まだまだ医療者にも誤解が多いのが終末期鎮静です。

 

医療の現場も各分野が年々進歩し、いくら勉強しても追い付きません。

 

私が現場に出たころは、勤務先が一般病院だったこともあって、終末期鎮静を行っている医師は皆無でした。

 

その頃の印象がいまだに尾を引いているということがあるかもしれません。

 

”「愛してる」と言って亡くなった小林麻央さんの最期を作り話だという医師たち”という記事を拝読して、私が感じたことです。

 

 

年々下がっている持続鎮静の頻度

 

緩和ケアの第一人者である、聖隷三方原病院の森田達也先生が『終末期の苦痛がなくならない時、何が選択できるのか?』という苦痛緩和のための鎮静の本を出しています。

 

 

 

 

現状の所、この本が我が国で鎮静を行う場合において、一つのテキストと呼べるものなのではないかと考えます。

 

鎮静を行い、またそれについて話す、公に述べられる方はぜひご一読願いたいと思う良書です。

 

 

現代の持続鎮静の頻度は(論文となって出ているものを検討すると)10%台になっているとされています(p78)。

 

ただし何を鎮静と呼ぶかにも変遷があるので、頻度の議論は困難である由も付記されています。

 

なお、「鎮静が命を縮めるのか?」ということに関しては、2016年に出版された日本の論文(リンク;英語)で、死が差し迫った患者さんへの持続鎮静において、(緩和ケアに精通した医療者がいる環境において)鎮静をすることで生命予後が縮まっている可能性は少ないことが明らかになっています。

 

 

在宅では鎮静は不要という見解

 

上記は前掲書のp82の表題になっているものです。

 

私自身は非常勤ではなく、常勤で在宅医をしていたことがありますし、在宅医療も好きです。

 

在宅には在宅の利点があり、病院には病院の利点があります。

 

どちらが良い、それは各患者さんとご家族ごとに異なります。

 

前掲書で、森田先生は丁寧に「在宅で鎮静は不要」という見解が語られる背景について説明しておられます。

 

重要な観点として、在宅医療をしているがんの患者さんのプロフィールと、病院にいるがんの患者さんのプロフィールには偏りがあるのではないか、ということが挙げられます。

 

一般に、症状を緩和することが難しい、苦痛がより大きい群は、なかなか在宅医療を行うことが難しくなります。

 

もちろん住み慣れた環境(在宅)で苦痛が少なくなるのではないか、というのは私も感じたことで、重要です。

 

ただ、病院では医療が今一つなので苦痛が増えているのか、というとそれは違うと考えます。

 

むしろ、病院にずっといざるを得ない一群の患者さんには、苦痛が非常に強く、有事の際も鎮静を苦痛緩和のために施行せざるを得ない群が相対的に多いのではないか、ということもまた言えるのではないかと思います。

 

 

病院での終末期医療も以前より進歩して来ている

 

病院=延命医療、そのような一部一般社会への刷り込みもいまだ存在します。

 

しかし最近私も若手医師と仕事をしていると、終末期のがんの患者さんにおいては、少なくとも私の知る限りにおいて、医療を適正にダウンサイジングしていることがより多くなってきています

 

昔のように、健康な人が食べられなくなった時のような量の水分補給を行っている例は、かなり少なくなりました。

 

在宅でも常勤医をし、そして現在の大病院の医療も常勤医として知っている身としては、やはりそれぞれで生活している患者さんの性質を考慮したうえで、もっと語られると良いのではないかと思います。

 

病院だと鎮静が必要になるが、在宅だと要らない。

 

在宅だと医療が手薄で、病院だと安心。

 

そのような、この施設だと一律にこうだという議論ではなく「この患者」にとってそれはどうなのか、という視点でより語られれば本当に良いと感じます。

 

在宅でも鎮静を行ったほうが良い患者さんはいます。数は少なくとも、確実に。

 

ただ在宅だと持続的な鎮静は要らないと、医療者がそう思い込むことがもっとも怖いです。

 

必要な患者さんには希望に応じてしっかりと行われるのが良い、それが鎮静だと考えます。