末期癌 最後の数日 家族にできる1つのこと
数日前
という記事を書いたところ、大きな反響を頂きました。
アメーバトピックスに紹介されたのですね。
前回、末期癌の最後の数日で問題になるのは、一般に言われることの多い痛みというよりも、せん妄であるとお伝えしました。
今日はそこから、家族に何ができるのか、ということを考えてみたいと思います。
人の死の理想と現実
私が医師になって衝撃を受けたこと。
これは私が書いているものの昔からの読者さんはご存知だと思いますが、
人は最後意識が低下して、最後の瞬間まで言葉を交わせる人はいない、という現実でした。
癌の場合、最後の経過は、多くの一般の方が思うよりも急です。
あっという間に、という形容詞が当てはまるくらいです。
それなので、「1週間ぶりに来てみたら全く状態が違う」ということが頻繁にあります。
むしろそれが当たり前なのです。
急に意識が低下していると、患者さんのご家族は驚きます。
その時に、「そういえばこの間まで痛がっていたな……先生は痛み止めを始めるって言ってたっけ」
と思い出すと、ピンと来たりします。
「もしかして薬で眠らされてしまっているのではないか」と。
驚かれることがしばしばありますが、実は末期になると、特に眠くなる薬剤を使わなくても、患者さんは次第に意識が低下してきます。
感染症になると眠る時間が増えるように、身体の状態は脳にも影響を与え、意識もそうなのです。
最後に意識が低下してきて眠っている状況が続けば患者さんにとっては楽なのですが、必ずしもそうなるとは限りません。
亡くなる数日は、「身の置き所がない」と形容されるような、せん妄や倦怠感などで患者さんはしばしば難儀されます。
覚醒していてもつらい、そういう状態に、病気のせいでなってしまうことは、けして珍しくはないのです。
理想は、最後まで意識がはっきりしていて、言葉を交わせることです。
しかし現実にはそれは叶いません。
私も医師になって衝撃を受けました。
幸いにして人の死をほとんど見ないで医師になった私は、まるでテレビの死のようなものが現実であると漠然と思ってしまっていたのです。
ただ、最後まで言葉を交わしたい、そのような私たちの希求とは裏腹に、現実はそうなっていない、それを知っておいたほうがいざという時に少し楽になるのではないかと思いますし、後悔も少なくなるのではないかと思います。
それを知っていれば、もっと元気な時に、より大切なやり取りができるでしょうしね。
見守る家族もつらい しかしそれを越えた時に
全身状態の不良さが、脳に影響し、最後の数日は意識は低下し、混濁します。
時には混乱や興奮を伴うせん妄になることも、しばしばあることです。
この時に、
「先生、モルヒネで眠らせてあげてください」
そのように要請されるご家族もいらっしゃいますが、それはあまり妥当ではありません(要請されるお気持ち自体は理解できます)。
で述べたように、このような状態のときは、せん妄状態です。
モルヒネなどの医療用麻薬は、世間では”眠らせる”薬のように思われていますが、実は意識の低下をもたらす作用はそれほど強くありません。
またせん妄に対しては悪影響になる可能性があります。
昔の、最後の身の置き所がない状態を「痛みから」と捉えて、余計にせん妄を強めるかもしれない医療用麻薬をどんどん増やしていった医療は、今は過去のものとなっています。
理想は、最後まで起きてコミュニケーションが図れることです。
しかし現実は、最後の数日は起きていても患者さんは相当つらい、ということが稀ならずあります。
それなので苦痛緩和のために、鎮静薬(モルヒネなどの医療用麻薬ではない種類の薬剤)を用いて緩和するしかない、という状況になり得ます。
このような状況下では、モルヒネは必ずしも妥当ではない、ということです(ただ明確な痛みがある場合などは使ったほうが良い場合もあってケース・バイ・ケースなので担当の医師とよく相談してください)。
身の置き所がない様態の患者さんを見ているご家族は、一般につらいです。
特に混乱や興奮が強い場合はそうで、しばしばインターネットで体験談を拝読すると、そのつらさが伝わって来ます。
ただひとつ重要なこととして、末期癌で上のような症状が出た際は、残り時間はもう極めて限られている、ということです。
つまり、大切な人との別れが差し迫っています。
確かに、苦しむ家族を前に、何もできない、いても意味がない、いてもつらいだけ、そのような気持ちはよくわかります。
けれども、医療者の私たちは感じています。
「ご家族がいるときは少し楽そうですね」
「ほんとですね」
そう、やはりせん妄が、時間や場所、人の感覚が、意識の低下から障害されてしまう状況ではあっても、
切り離されそうになるつながりを引き留めるよすがとして、ご家族がいらっしゃるということはとても重要だと思うのです。
末期癌 最後の数日 家族にできる1つのこと それはいてあげること
いてあげることしかできない。よく聞く言葉です。
しかし、そんなことはないのです。
いてあげることだって大変なこと。勇気が必要です。
そして、いてあげることは、十分以上にできることです。
実際に、そのような時は、患者さんが少しだけ楽になっているようにみえることはしばしばあります。
気がつかないだけで、実は最後の瞬間まで、緩和を与えていると思います。
一方で、最後を見守る、というのはとても大変なことです。
一人では倒れてしまいます。総力戦です。
私からのちょっとした提案です。
● 家族がうまく交代してことに当たる
● いつでも気になってしまうでしょうけれども、しっかり休息する時間を取る
● 最後の瞬間はけして心停止・呼吸停止だけではない。その前までに十分そばにいれば、その一点の時間に合わなくても十分「死に目に会えた」といえる。
● 医療者はともに支える仲間。わからないことは聞き、頼ることは頼って。
などが大切なことでしょう。
緩和ケアの世界では昔から「Not doing, but being」という言葉あります。
「何かをしてあげたい」という気持ちは大変貴重なものです。
一方で、何かをするよりも、ただそこにあること、いることがもっともっと支えになることがあります。
看取りでは、「何もできなかった」と思うことは、一生懸命思っていればいるほど、家族の方にも医療者にも普通にあることです。
しかしけしてそんなことはなく、人は最後の数日で、たとえ話せなくても、なお与え、なおもらっている――そう思います。
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