多死社会が進行し、これからは生活の場で最期を迎えられる方も増え、その周囲の援助者が「看取り」を理解し、支えるということがますます重要になって来ます。


 

私も数年前それを感じ『大切な人を看取る作法』という本を上梓しました。

 

 

介護士等の看取りに関わる職種や、御家族の方が、人の亡くなってゆく過程やケアの方法を知ることはこれからさらに大切になると考えたのでした。そしてまた、「知ること」が実際に現場に居合わせた時に、力や勇気となり、また悲しみやつらさを超えてゆく原資となるのではないかと思いました。

 

 

 

 

今月、桜町病院の大井裕子先生が、『<暮らしの中の看取り>準備講座』という素晴らしい本を完成されました。

 

 

 

 

 

大井先生は尊敬する緩和ケア医で、いつもにこやかに精力的で、真似できない存在です。

 

 

『<暮らしの中の看取り>準備講座』は、先生が故郷・広島県の廿日市市で、一般市民に対して始めた連続講座・グループディスカッションを下敷きとした本です。

 

 

理論と実践が合一している先生の行いと思い、その個性が、本からひしひしと伝わって来ます。

 

 

対象が一般市民に向けているということもあり、非常にわかりやすい本で、誰にでもお勧めできます。私のように同じ専門性を持つ医師からしても、さまざまな気づきのある本であり、一般の方だけではなく医療職の方々も看取りについて考える時、あるいは悩んだ時に、開いてみると良い本であると感じました。

 

 

分量も程よく、まず看取りについて知ろうとする際に最適です。

 

 

本では、看取りにまつわる諸知識について先生が説明くださり、その後認知症者の援助、食事について、傾聴について、と筆を進められています。

 

 

豊富な臨床経験から、まさしく看取りの時期やそれより前に大きな問題となる、食事のことや、苦悩者の抱える内側をいかに引き出し支えたら良いのかという疑問に答えるものとなっていると感じました。

 

 

 

 

 

 

心に響いたところを少しだけ紹介します。

 

 

 

 

 

 

「死ぬのは怖くない。ひとりで生まれて、ひとりで死ぬ。それが自然なことだから。

 

 

何も寂しいとは思わない。苦しいとき、死ぬときに誰もそばにいなくてもいい。

 

 

世間体とか気にしないで、自分に正直に生きていけばいいと思っている。

 

 

姉もそばにいなくていい。看護師さんもそんなことでそばにいなくていい。

 

 

寂しいなんて思わないから」(p11)

 

 

 

 

80代男性の言葉。

 

 

彼ははたして、看護師がそばを離れた数分の間に息を引き取られたそうです。「願はくは〜その如月の望月のころ」のような、望んだ死と合致する旅立ち。

 

 

大井先生は、「家族に囲まれない最期」も、その方にとっての生き方や思いと合致していれば不幸ではないと述べていらっしゃいます。

 

 

「孤独死」等と、一面的な見方で判断できるものではないと示唆する一例です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自宅での介護は始めたら最後までと考えている人が実に多いのですが、療養中のこの部分だけ、たとえば体力が低下してきて食事が摂れなくなったころから入院するまで、という風に期間限定で考えることもできます」(p39)

 

 

 

 

在宅医療の良さを伝える記事にコメント欄であふれる「家族の大変さを鑑みるべし」という声。確かにそれはそうです。ただ、その時間は(特にがんの場合は)必ずしも長くないことも多く、また上記のように“期間限定”で区切って実践するのもまたありだと示唆する現場ならではの助言です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「特に腸閉塞でも、経口摂取が全くできない状態から、少量ずつ気をつけながら食べれば嘔吐しない状態でいられるまでの範囲をグレーゾーンとすると、このグレーゾーンはかなり広いことを実感しています」(p88)

 

 

 これはまさしく私も実感していることです。

「グレーゾーンはかなり広い」は言い得て妙で、進歩した薬物療法等の恩恵で、がんの高度進行期の腸閉塞であってもある程度の食事は可能なことが多いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他にも、先生の患者さんへの温かなまなざしを感じる記載が多く、心を動かされます。

 

 

 

 

ぜひご覧になってみてください。