昨日、2つの記事を読みました。
永寿総合病院の緩和医療医である廣橋猛先生が書かれたものが1つです。
廣橋先生は、小林麻央さんの件に関して、「麻央さんは有名人でお金持ちであったから、ぜいたくな支援を受けることで、自宅で亡くなることができた。一般人では無理」という趣旨の話を見聞する機会が多くあったと記されています。そしてそれは違うということを丁寧な説明を付けて論じておられます。
私も同様に感じました。
お金があるから、家で生活できるのだ、という発信を多く目にし、その多くの方が実際の経験ではなく、イメージで語っていることが気になりました。
もちろん一般論として、お金があるに越したことはありません。
けれども、お金がないから在宅医療はできない、というものではないです。
それよりも、家族環境やご本人や周囲の意思、病気の性質や症状、苦痛緩和医療への反応性などの要素のほうが、影響するようにも感じます。
実際に、一般的な生活水準の患者さんも、在宅医療を行っていた際には非常に多く拝見しました。と言いますか、そちらのほうが多数派です。
一部一般の方の意見を拝見していると、お金のことを強調し過ぎているように感じたのは、現場の一医師として偽らざる感想です。
特にがんの終末期の場合は、時間も限られており、金銭的・人的な負担が年余にわたるわけではなく、長くても「短い数ヶ月以内」ということも頻々とあります。週単位ということも珍しくはありません。
時間が限られている、という前提が重要で、それがもっと知られてほしいと思います。
さて以前、富裕層は情報を様々なネットワークから仕入れることができるために、がん治療においてプラスな側面もあるのではないかという主旨の文章を書いたことがあります。もう随分前の話です。
するとある読者の方から、「先生、それは違うでしょう。富裕層は情報がどんどん入ってくるからこそ、余計に何が正しいのかわからなくなってしまうかもしれませんよ」というご意見を頂きました。
なるほど、と思いました。
そしてその後の観察においても、それは一面の事実を示していると言えそうです。そのようなケースもしばしば拝見してきました。
もちろん、お金を持っていらっしゃる方でも、正統な選択を行って、うまくいくケースもありますから、一概には語れません。あくまで個々のケースごとに違いがあります。
しかしこの数年、がんでお亡くなりになった有名人の方々の選んだことを見たり、あるいはそれらの方々や周囲の方が残された手記などを拝読したりすると、おそらくは「長く生きたい」という気持ちと遠ざかる選択肢をチョイスしてしまっているのではないかと感じた例はいくつもありました。
もしかすると、お金があって「選択肢が増えてしまったからこそ」、医療保険が使える標準治療よりも、高額な医療のほうがより効果が高いのだと思ってしまった、
そういう側面もあるかもしれません。
また治療の甲斐なく病気が進行した場合においては、詐欺的な療法に、ある意味溺れるものは……という気持ちで絡め取られてしまうことは、実際にそうなれば誰にも生じうる可能性があるものでしょう。私にも生じるかもしれません(ただ、嫌というほど詐欺的なものを見てきているので、私はやらないとは思いますが)。
その時にお金があると……という話です。
1週間ほど前、臍帯血をがん治療や美容に効果があるとして患者に投与していた11クリニックが、再生医療の停止を命じられました。
下の記事には11クリニックの名前もしっかり掲載されています。