先日診療実績の一端をお示ししましたが、現在の病院に勤務してからも、生命に関わる状態の方を最低2000人は拝見していることになります(拝見している方のすべてが高度進行がんの方であるわけではないため、診療者総数からは少し減じたのが実際となります)。

 

 

それまでのキャリアでも、お看取りをした患者さんは1000人を超えていましたから、重いがんの患者さんは最低でも3000人以上拝見しています。

 

 

どのような方が印象に残っていますか、と尋ねられることがあります。

 

 

確かに、長期間、あるいは記憶に残る何かがあった患者さんとのことは比較的印象に残りやすいかもしれません。

 

 

5月も後半戦に入り、雨がちな季節も間近です。

 

 

すると40代前半だったある患者さんとの日々が思い出されます。

 

 

ある時、彼は窓の外を見て、「今日も空はきれいですね」

 

 

とおっしゃいました。

 

 

私は聞き間違いかと思いました。

 

 

空はどんよりと曇り、今にも雨が降り出しそうで、実際に一滴、二滴と雨粒がしたたり落ちる様が見えました。

 

 

彼は頭脳明晰でした。

 

 

息苦しさもありましたが、医療用麻薬(モルヒネ)でその症状は緩和されました。

 

 

息苦しさや咳にもモルヒネは効きます。もちろん眠くさせて苦痛を取っているのではありませんし、命を縮めるものでもありません。

 

 

もちろん彼には精神症状も起こしませんでした。

 

 

私は「空がきれい」とお感じになっているのはどうしてかということを尋ねました。

 

 

重苦しい灰色の空を前に、彼は微笑んで言いました。

 

 

「もうあの下に戻れない身からすれば、あの空だって例えようもなく輝いて見えるんですよ」と。

 

 

確かに、雨を好きな人は少ないでしょう。

 

 

出勤日に雨天が当たれば、ひと言や二言毒づきたくなるのも当たり前です。

 

 

しかし40代で、重い肺がんとなり、もう二度とあの下に戻れないのではないかという強い予感があった彼からすれば、その空は、私たちが見るものとはまた異なったものとして映ったのです。

 

 

幸いにして、症状緩和の治療が奏効して、彼は家に帰ることができました。

 

 

そして長くはなかったけれども、その時間を全速力で駆け抜けました。

 

 

病気になる前は、忙しくて空を見上げることなどなかったと言います。

 

 

重い病気になって初めて、空を見て、灰色の空ですら美しいと思ったのだそうです。

 

 

おそらくは駆け抜けた日々も、病前とは異なって、きっと時折空を見上げながら、あの笑顔で進んでいったのだろう、私はそう思います。

 

 

私たちは、非常に忙しい日々に、取り組んでいます。

 

 

やらなければいけないことは山積みで、そんな一人一人の努力で、社会の大きな歯車は回っています。

 

 

けれども、ふと立ち止まって空を見た時、彼が見つけたように、私たちも何かを見つけるかもしれません。

 

 

健康な時には、それでも気がつくのは容易ではありません。

 

 

ただ「病気になって、それでも良かった」と語る人もいるのは、当たり前のように見えていたことを、車を運転しながら見ていたら見逃していたことを、立ち止まること、ゆっくり歩くことで、違った景色や見落としていたことを見つける機会となったからなのだろうと思います。

 

 

元気な時、勢いがある時、それに気がつくことは至難の業です。

 

ただ少しでも、先に生きた方々が、身をもって示し、言葉で教えてくださったことをお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸 朝日新聞を購読されている方は、本日5月28日(日曜)の朝刊をご覧になってみてください。よろしくお願いします。