患者さんは60代の腎臓がんの方です。
5年前に奥さんを亡くされ、今の楽しみは釣りと、大好きなお孫さんの成長。
しかし彼の治療はうまくいかず、もう病気に対する治療法はないというところまで進行してしまいました。
そのことを医師は伝えねばなりません。
若手の女性医師は、言葉を選んで、もう病気は治り難いことを伝えました。
「私にとっては孫の成長が楽しみなんです。孫・・・・・・今4歳なんですが、小学校に入るくらいまでは生きられますよね・・・・・・?」
「そうですね。・・・ただ正直な話、それは難しいかもしれません」
「・・・・・・」
下を向く患者さん。名状し難い硬い顔です。
患者さんの傍には長女さんが付き添われています。長女さんは声を絞り出します。
「そんなに悪いんですね・・・。そんな・・・」
声が詰まりそうになります。涙をこらえているのがわかります。
陪席させてもらっている私の心も震えました。娘さんの気持ちを思うと、そしてその横顔をみていると、気持ちは痛いほど伝わって来ます。
ハイ、そこまで!
解放のひと時。
笑顔が漏れる中、娘さん「役」の医師は、「つい泣きそうになった」とおっしゃいます。
厳しい言葉を患者さん「役」に伝える医師「役」だった、研修医の先生も涙ぐまれています。
どうしたの? と声をかける先輩医師に、「患者さんや娘さんの気持ちを思うとつらくて・・・」
これは先日行われた医師向け緩和ケア研修会の一コマです。
患者さんに、医師がもう治療法はないということを伝えるという課題を、医師が患者役・医師役・家族役に分かれて行います。役柄を演じるので、ロールプレイとも言います。
毎年迫真のロールプレイが繰り広げられますが、今年もそうでした。
実際娘さん役の先生が、こみ上げる感情を抑えて、泣くまいとしている姿には、私自身がもらい泣きしそうでした。演技を超えたリアルがそこにあったからです。
医師は、厳しい話も時に伝えねばならない仕事です。
そんな時に、医師が動揺していたら冷静に話を伝えることはできません。
かといって、聴く側の感情にも一定に配慮しないと、冷たい印象だけを与えて、「あのような告知をされた」と後々までつらい思いをされる方も出てしまいます。
適切な告知というのは人の数ほどありますから、絶対正解はなく、とても難しいのです。はっきり言ってもらいたい人もいれば、やや良い方向に伝えてもらいたいという人もいます。聞きたくないという人もいます。そして家族もそれぞれお考えをお持ちです。それらに配慮して、医師は説明を行っています。
ただ、木石のようにそれを為しているのではない、ということは知っておかれると、一医師としては有り難く思います。
実際に、まだこのような厳しい告知をした経験がなかった研修医は、聴く側の気持ちを思って、終了後に涙を流したのです。
心では泣いていても、それを露わにするわけにはいきません。
実際に、研修医の先生は、落ち込む患者さん役、言葉に詰まる娘さん役を前に、柔らかな表情で、けして言葉に動揺を見せることなく、落ち着いて説明を続けました。
そして役が終わった時、相手のつらさを感じて、そっと涙を流したのです。
「純粋さに心が洗われました」
ある若手の外科医がそれを見て、ポツリ。
いやいやどうして。その若手のホープの外科医も、患者さんやご家族の思いに沿った説明をする技術や姿勢はピカ一なのです。ただこのような経験を多数乗り越えてきた医師たちにも、何か感得するものはあったと思いますし、私もそうでした。
実際に「もう有効な治療法がない」ということを頻繁に伝えるようになる最前線の医師に育った時に、毎回泣くことはできません。
ただ、そっと受け手の感情に思いをはせてみること、その大切さを改めて感じたロールプレイでした。
「あの先生は冷たい」
そう語る患者さんやご家族もいらっしゃいます。
本当にそうな場合も残念ながらあるかもしれません。
しかしそうではない場合もたくさんあるのだ、心の中では少しだけ泣いたりしている場合だってあるのだ、ということを、わかってくださいとは言いません、よかったら何かの折にでも思い出してもらえればありがたいと思います。