昨日非常にアクセスが多かったので、どうしたのだろうと思ったら、NHKが終末期鎮静を取り上げたのですね。



“最期のとき”をどう決める~“終末期鎮静”めぐる葛藤~



鎮静を開始する際は、余命が極めて短い場合に他の手段で緩和できない高度な苦痛が存在する場合に限られます。


それも、耐え難い苦痛がある場合はそもそも休息を取れていないことが多いために、一時的に鎮静を行って苦痛緩和することで、改善する場合も中にはあります。これを間欠的鎮静と言います。この対応で最期まで苦痛が甚大にはならずに、(薬のせいではなくて)自然に意識が低下してうとうとと眠る時間が増え、逝かれる方も多くいます。


最初から、ずっとうとうとと眠った状態に導いて維持するのは、最新の方法ではありません。


できるだけ話したり、周囲の方と接する時間が確保できるように心を砕きます。


また前提として、がんで余命が日単位や短い週単位と考えられる場合には、栄養や水分の多寡が余命には影響しないと言われています。だから眠って食事が取れなくても、予後は変わりません。


そして、使用する鎮静剤も半減期が短い(血液から消失するのが早い)薬剤を、注意深く使用するものです。従って命を短縮する危険も、ガイドラインを遵守して行えば、けして高いものではありません。


安楽死とは、患者の命を終結させるために薬剤を投与するものであり、目的がまったく異なります。


もちろん鎮静が必要ないくらい、どなたも最期の瞬間まで、苦痛が全くなく、意識もはっきりしていれば良いです。


しかしどれだけ緩和の力を尽くしても、程度は異なるものの、死を前にした苦痛がまったくないことは夢物語です。死ぬということは大変なことです。だからこそ、出来る限りの緩和は受けつつも、最後に向けてどうするのかが希望なのかがもっと話しあわれないといけません。


たとえ強いつらさがあっても起きていたいのか、苦痛緩和を優先してほしいのか、ご本人とご家族と医療者が十分話し合って決めることが重要です。


ご家族は、どんな場合でも、迷いは残ります。


しかし逝く方の思いが、やはりもっとも大切なものだと思います。


39歳のお姉さんを見送られた妹さんはこう悩まれているそうです。


「姉の死に加担してしまったとか、どうしても罪悪感とか(あります)」


余命1週間の時点でお姉さんは鎮静を望み、妹さんはそれに迷いながら同意されました。


先に述べたように、たとえ鎮静をしなくても予後は大きく変わらなかったでしょう。


その時間をどう生きるのか、という時に、どれだけ苦しくても意識を保ちつつも生きる姿勢を見せたいという方もいれば(そんな方も以前いらっしゃいました)、お姉さんのように「息子にはとにかく自分の良かったころを記憶にとどめておいてほしい。病気で痛みのあまりネガティブだったり、そういうような自分をなるべく見てほしくない」と希望される方もいるでしょう。第三者としては十分理解できるご本人自身の希望だと感じました。


お姉さんの逝去に悩まれる気持ちもわかりますが、どうかご自身を責めないで頂ければと思います。


そしてまた鎮静を受けたご家族を見送った方たちも、「あのせいで亡くなったのではないか」「私が死期を早めた」など、その後も悩まれている方々もきっといると思います。


そんなことはない場合がほとんどでしょう。病自体がそれだけ進行していたので、その時を迎えたのだと思います。


どうか悩まれないでほしいと心から願います。



追伸 鎮静を使用しないで、非常に苦しまれた場合にもご家族は悩み苦しみます。いずれにせよ見送る側には一定の悩みは避けられません。しかしそばには、そのことを一緒に考えてくれる看護師や医師がいるはずです。在宅の場合は、在宅医もいて、訪問看護師もいますので、特にそうではないでしょうか。どうか十分にコミュニケーションを取って頂ければと存じます。