Aさんからメッセージを頂戴したので、紹介します。



大津先生


春先にメッセージをお送りしたAと申します。父を見送ってあっという間に時間が過ぎ、初めて喪中はがきを書き、ふと淋しさを覚えました。

お忙しいとは存じますが、ニュースを見て危機感を覚えましたのでお知らせしたいと思い、メッセージさせていただきます。


川島なお美さんの『カーテンコール』について、Yahooの記事で取り上げられているものを見ました。J-CASTニュースとありました。

著書ではM氏となっているが、近藤誠医師の「がんは放置」を批判している、という内容でした。

記事自体は著書の内容紹介でしたが、その記事に寄せられたコメントを読んで、一般人がいかに無知かということを痛感しました。


処置に時間がかかったのはいくつも病院をまわっていた自分の責任で、近藤医師を批判するのはおかしい、手遅れになったのは自己責任といったコメントが多くを占めていました。

近藤医師はラジオ波による治療を勧めていて、放置しろとは言っていない、だから近藤医師に責任はない、という内容でした。


明らかにおかしな受け取り方をされていると感じました。身近にがん患者がいなかったり、週刊誌等を読まなかったりする人からすると、近藤医師のことを知らないからまっとうな医師に見えるのでしょうか。


何をどう言えばいいのかわかりませんが、近藤医師のこれまでの行為は、明らかにがん患者やその家族を思いやってのこととは思えません。どうしたら彼の意図が善意から来ていないということを世に知らしめられるのでしょうか。


先生に知っていただかなければと思い、一方的で申し訳有りませんがお知らせさせていただきました。

当分がんとは近しくしたくはありませんが、先生のブログは毎回楽しみにしています。お忙しいと思いますので、お体にお気をつけて、ご活躍を応援しています。(以上引用)


Aさん、メッセージありがとうございます。


お父様のこと、深く哀悼の意を表します。


何か節目があるたびに、ふと思い出すことはありますよね。


今年お亡くなりになった私が拝見した患者さんのご家族も、「元気にされているだろうか」とそれぞれの姿を思い浮かべたりしています。さみしい思いや悲しい思いが少しでも少ない年末年始ならば嬉しいですが、大切な人を亡くすというのは大変なことですから。




さて頂きましたメッセージに関して。


世間一般には「専門家」とみなされている人が適当な意見を述べることを、どれだけ許容できるかによってもスタンスは変わるのでしょう。


識者の中にも、「多様な意見は必要」と、彼を積極的に擁護する人がいます。


要するに信じるも信じないも自己責任で、それよりも多様な意見があることのほうが重要という考えなわけですが、それは強者の理論なのではないかと感じます。


切実な人、専門家の嘘を見抜くのが難しい人にとっては、より迷いを深めているのではないでしょうか。


ただ、自身の外来を受診した方の実名を挙げて逝去後に暴露することで、”意図”はあらわになって来ています。「何かおかしいぞ」「言っていることとやっていることが矛盾していないか」などの嗅覚も大切にして頂きたいと存じます。



私も最近著作をいくつか読みましたが、結論として確かに、ごくごく一般の方には著作中における彼の嘘を見ぬくことは難しいかもしれません。そして必要以上に、医師・治療悪者説に偏っています。医師の適切な治療提案に対して、裏読みしてしまうことを誘いそうです。


『カーテンコール』を拝見するとわかるように、私のような医師は著作を読んでも、嘘が多いなと思うわけですが、川島さんは「感銘を受け」「好意的な印象」を持った(同掲書p74)わけです。


君子危うきに近寄らず、が当てはまると思います。