川島なお美さんと鎧塚俊彦さんの『カーテンコール』を読みました。







拝読して思ったことは、川島なお美さんの文章に、同時系列でご主人の鎧塚俊彦さんの文章が添えられており、その時に双方が思ったこと、そして思いの相違がよく表現されているということでした。



もちろん川島さんの人生は川島さんらしい、他の誰にも歩めなかったことであることは間違いありません。



一方で、重い病気を抱えていらっしゃる方の、ある種典型的なお気持ちの揺れや、医療以外へのお気持ちの誘惑、そして見守る家族の心情がよく表現されている本だと思いました。



「このような気持ちに、病者はなり得る」



それを知っておくだけでも、いざ自分が本番になった時に少しでも違うのではないかと私は思います。



ぜひ目を通しておかれると良いと思いました(※ただ私が以前から警鐘を鳴らしている、『がんが自然に治る生き方』<ケリー・ターナー著>などの根拠が脆弱な本の捉え方には一定の注意が必要だと思います)。



さて、川島さんはM先生(どうやらMは誠さんの「M」のことのようです)の書籍で彼のことを知り、「感銘を受け」「好意的な印象」を持ち(同掲書p74)セカンドオピニオンに赴きました。



結果として、肝内胆管がんでは普通治療法としては提案されることはないラジオ波をM先生からは提案され、「あれって一体なんだったんでしょうか?」(川島さん。p65)、『専門医による「胆管がんにラジオ波は有効ではない」との判断とM先生との見解の違いについては、確かに今でも疑問に感じることがあります』(鎧塚さん。p75)と混乱を招く因となりました。



他にもM先生からの言葉として



「胆管がんだとしたらとてもやっかいだね。2,3年は元気でいられるけど、ほうっておいたらいずれ黄疸症状が出て肝機能不全になる。手術しても生存率は悪く、死んじゃうよ
――言葉が出ませんでした。
きっと、この先生の前で泣き崩れる患者さんは多々いたはず。
(p61。強調筆者)



と初対面の患者さんに「死んじゃうよ」という言葉を投げかけ、そしてそれが対面している患者さんの気持ちに配慮したものではなかったことは「言葉が出ませんでした」「きっと、この先生の前で泣き崩れる患者さんは多々いたはず」との表現から読み取れます。



100人のがんの患者さんがいらっしゃれば、そのがんの原発部位、進み具合、転移の度合い、細胞の分化度、症状などは百様ですし、年齢や持っている体力、もともと有している病気など、様々な要素を総合的に勘案した結果としてもっとも適した治療が考えられ、提案されるのが普通です。



そもそも相手は人間。数学や物理の問題に取り組んでいるのではないので、全ての病者をカバーする統一理論などないわけです。



だからこそ、個々の事例で考えてゆく必要があります。



そしてこのように、症状がない患者さんへも実際に何らかの治療を勧めることもあるのに(だから川島さんは驚いたということも文中では述べられていますが)、“症状がなければ放置して良い”と書籍などの媒体ではインパクト重視で極論を述べる。



するとこの極論を原理的に信じる人が出て来て、対する意見“一概にそうは言えませんよね”に激しい攻撃を加える人まで出現します。



この「極論」を心ある臨床家は問題にしているのです。



初対面の患者さんに「死んじゃうよ」と言い、言葉が出なくさせ、他の人は泣いただろうなと思わせる、そんな医師が、“本物の臨床家”なのか、「臨床家もどき」なのかは、理論や過去の業績・経歴に心酔している一部識者より、よほど一般の方のほうが判断できるのではないかと思います(とはいえ、最近は一部識者も「全てが当てはまるとは思わない」と引いた見方が増えて来ており、それは賢察だと思います)。



結論として、川島さんの辿りついた答えは下記です。



がんと診断されたら放置するのではなく、その対処いかんでより健全で、充実した生き方が待っている。それは、私ががんになってみて初めてわかったことなのです。
がんと診断された皆さん、決して「放置」などしないでください。まだやるべきことは残っています。(p16)



と明言されています。私も同感です。



また鎧塚さんはこう述べていらっしゃいます。



できれば切らずに、抗がん剤も使わずに治りたい女房が、西洋医学以外の可能性、つまり代替医療に頼りたくなるのは当然かもしれません。実際に、ここに書かれている以外にも、女房はたくさんの療法を試していました。
私自身はそれらすべてを信用していたわけではありませんが、女房が「少しでも身体にプラスになる」と思うのならば、止めることはしなかった。しかし、それは女房が長年こつこつと貯めた蓄えがあったから許されたことで、正直、高額なそれらの、心理的効果以外には疑問が残ります。(p53)



これもまた同感です。



死を覚悟すればするほど、生きることがはっきり見えてくる。
死を身近に感じることで、人生でまだやり残していることがわかってきたのです。
これは素晴らしい発見でもあり、有意義な時間でもありました。(p108)



そう述べられていた川島さん。



深く哀悼の意を表するとともに、「これでがんがきっと治る」という怪しい治療のまん延と、『がんは「がんもどき」と「本物のがん」で症状がなければ放置』というような極論に、改めて警鐘を鳴らしたいと思います。