おかげさまで10月24日の南アルプス市の講演はほぼ満席でした。


車いすでご参加くださった方もいらっしゃいました。本当に皆さん熱心に聞いてくださいました。


皆さん、ご参加ありがとうございました。


昔一緒に働いた看護師さん(ご実家が山梨県)のお父様もいらしてくださいました。


3歳のお子さんの母として子育てをされていると聞きました。おめでとうございます。どうか子育て、大変だと思いますが、引き続きがんばってください。




さて、以前の記事で触れましたが、2週間ほど前の10月中旬、学会で岐阜に行って参りました。本日はその続編です。



卒業後は友人の結婚式で都合3回岐阜に行きました。



しかし結婚ラッシュ(?)も収束し、4年前に最後の大物たる友が結婚式を挙げて以降、とんと岐阜に行く機会がなくなりました。



学会前に、大会の実行委員の藤澤さんにも「旧医学部辺りも変わったので行ってみたらどうですか?」とお勧め頂き、ヨシヨシと散策してみました。



そう、私が卒業前は医学部は比較的街中にあり、しかし多分に老朽化が進んだ状態でした。



それが私の卒業後、郊外にそれはそれは立派な(と聞いております)病院に移転・新築されたのです。



卒業当時は24歳でした(若かった)から、6年を過ごした岐阜は、人生の1/4を過ごした場所でした(今はさらに分母が増えてしまいましたが・・・)。


旧医学部周りは、この15年一度も赴いておりませんでした。


「どんなふうになったかな」と思いながら、歩を進めました。






かつては、旧居を出ると徒歩5分で着いた金華橋付近からの風景です。


街をゆるやかなカーブを描いた川が貫いています。そして空が広い。


遠くに見えるのは忠節橋。大学1年生の頃はあの橋を渡って医学部に通いました。


Qちゃんこと高橋尚子選手が高校時代にトレーニングで走ったと言われる川沿いの道が並行して伸びています。






医学部跡地。まず見てすぐに思ったのは、「道が広くなった!」です。


実は大学時代は、医学部にもっとも近いアパートに住んでいました(徒歩30秒)。


そこから今の1/3くらいの幅の道を歩いて、医学部に通いました。


医学部はもちろん今はなく、今年7月に移転した新岐阜市立図書館が建っています。ガラスの面積が大きいお洒落な建物ですね。






私の胃がかつてお世話になった店も随分なくなってしまっていました。「あかつき」さんは健在で嬉しかったです。扁桃炎で40℃くらい熱が出て動けなかった時も、徒歩10秒の「あかつき」さんには辿り着け、栄養を摂ることができました。その節はありがとうございました



そして・・・


もうなくなってしまったろうなあ・・・と思っていた旧居。


ところが・・・





あった。


医学部の授業が増える2年生に引っ越して、5年余りを過ごした部屋。


その時点でも年季の入った建物でしたから、もうさすがに・・・と思っていたのは杞憂でした。


大家さんの熱意に乾杯です。大家さん、勝手に建て替えたと思ってしまっていてすみませんでした。良心的なお家賃で貧乏学生だった私は本当に助かりました。そうやって医学部生を応援してくれていました。大家さん、ありがとうございました。




こうして束の間の、15年ぶりの里帰り? でした。



夜は友人と一宴。


皆医療のそれぞれの専門分野で活躍していて、そんな専門家としての話は1/3くらいは知らないことでした。


皆とても勉強し、立派になっているなあと改めて。


学会にも、情景にも、友にもたくさんの刺激をもらった岐阜行でした。