がんによって「一般的な」進行の速さは違います。
けれども、一般には進行が速い種類のがんでも長期に生きられる方もいる一方で、一般には進行が比較的遅い種類のがんでもその方の場合には速い経過を辿ることがあります。
その多様性が、がんの難しさです。
肝内胆管がんは一般に難しいがん腫です。早期発見が困難なことも一因です。
Mさんからメッセージを頂戴したので紹介します。
(以下頂いたメッセージ)
大津先生
いつもブログの更新ありがとうございます。
2011年5月に父を亡くし、コメントを入れさせて頂いた者です。
川島なお美さんと同じ胆管癌でした。
あれからずっと疑問に思っていることがあるのですが、父は悪液質がなく(腹水はありましたが)まったく、いつもの元気な時の姿のまま、余命3ヶ月ぴったりに旅立ちました。
しかも10日前まで車の運転もしていたのです。
まさにエンジンが切れたかのように急に動けなくなり、昏睡状態から目覚めた時には父自身が『生きてた!』と叫んだほどです。
2人で泣き笑い。
しかし時計もよめないなど見当識障害もみえ、花畑をみたという父はあの世から帰ってきたのだな、と思いました。
最期に自宅で過ごした一週間は、まるで神様を看ているような悲しいけど穏やかな時間を過ごせたのです。
吐血や下血、疼痛もなく、酸素もせず、施したのは点滴とバルン留置、オプソとセレネースだけでした。
最期の瞬間は家族と犬たちで看取れました。
このような最期もあるのだ、という感動と共に、家でみさせてくれた父に感謝の気持ちでいっぱいでした。
20年医療に携わっておりますが、こんな潔い最期は知りません。
一人暮らしですべて自分でしていた父。
職人で泣き言もいっさい言いませんでした。
川島なお美さんも然り、プロ意識の高さ、自分を律する厳しさに父をみたようでした。
長く苦しんだとしても、それをみせない強さがあのような最期にしたのでしょうか。
それだけではない、天の采配があるようにも感じますが‥(*^^*)
私も天を味方にするような生き方をして、父のように潔い最期を迎えたいと強く願うようになりました。
長々と読んで頂きありがとうございました!
ずっとずっと、先生に聴いて頂きたかったのでメッセージが送れてよかったです(*^^*)
これからも先生の記事を楽しみにしております。
(以上頂いたメッセージ)
Mさん、メッセージありがとうございました。
「天の采配」、そうですね。
お父様はそれによって、Mさんが知る最後の道を歩まれたのかもしれませんね。
どんな苦しさが、死の前に訪れるかは人それぞれです。
心優しく、何の罪もない方が、大きな苦痛症状を経験することがあります。
一方で、がんは全身に広がっていても、不思議と苦痛が少ない方もいます。
もちろん終末期になっても悪液質の程度が少ない場合もあります。
例えば乳がんは一般に他のがんより悪液質の頻度が高くないのですが、その中でもAさんは顕著な悪液質になってしまったけれども、Bさんはそうでもないという場合だってあります。
苦痛症状が少ない方は、本当に幸運だと思います。
それだけでも、人生において少し得をした、と言えるかもしれません。
また死を前にすると、身体だけではなく、心も苦しくなります。
これも一般的には、気持ちの整理がついていれば、そうではない場合よりも楽かもしれません(ただそれも身体のつらさが強ければ揺らいでしまったり、簡単ではありません)。
拝読して思ったのは、お父様はお気持ちの整理が、死へのご覚悟ができていたように感じました。
もちろんMさんやご家族の皆さんや、犬たちに見守られていたことも、安心につながったと思います。
どんな運命が訪れるかは人それぞれ。
だからこそ、理想論かもしれませんが、どんな事態にも柔軟に対応できる頭や、しかし必要時には揺るがない心が、とても重要なのではないかと思いますし、それこそお父様に天が授けた配剤であったのではないでしょうか。
私たちは誰しも、ある程度生きれば、逝った方から様々な影響を受け、受け続けていると思います。
身近にそのような方がいたMさんもまた配剤を与えられていると思いました。
誰もが、Mさんのお父様のように苦痛少なく逝けることを願い、またそのための支援策である症状緩和の治療の普及をまた願います。
けれども、一般には進行が速い種類のがんでも長期に生きられる方もいる一方で、一般には進行が比較的遅い種類のがんでもその方の場合には速い経過を辿ることがあります。
その多様性が、がんの難しさです。
肝内胆管がんは一般に難しいがん腫です。早期発見が困難なことも一因です。
Mさんからメッセージを頂戴したので紹介します。
(以下頂いたメッセージ)
大津先生
いつもブログの更新ありがとうございます。
2011年5月に父を亡くし、コメントを入れさせて頂いた者です。
川島なお美さんと同じ胆管癌でした。
あれからずっと疑問に思っていることがあるのですが、父は悪液質がなく(腹水はありましたが)まったく、いつもの元気な時の姿のまま、余命3ヶ月ぴったりに旅立ちました。
しかも10日前まで車の運転もしていたのです。
まさにエンジンが切れたかのように急に動けなくなり、昏睡状態から目覚めた時には父自身が『生きてた!』と叫んだほどです。
2人で泣き笑い。
しかし時計もよめないなど見当識障害もみえ、花畑をみたという父はあの世から帰ってきたのだな、と思いました。
最期に自宅で過ごした一週間は、まるで神様を看ているような悲しいけど穏やかな時間を過ごせたのです。
吐血や下血、疼痛もなく、酸素もせず、施したのは点滴とバルン留置、オプソとセレネースだけでした。
最期の瞬間は家族と犬たちで看取れました。
このような最期もあるのだ、という感動と共に、家でみさせてくれた父に感謝の気持ちでいっぱいでした。
20年医療に携わっておりますが、こんな潔い最期は知りません。
一人暮らしですべて自分でしていた父。
職人で泣き言もいっさい言いませんでした。
川島なお美さんも然り、プロ意識の高さ、自分を律する厳しさに父をみたようでした。
長く苦しんだとしても、それをみせない強さがあのような最期にしたのでしょうか。
それだけではない、天の采配があるようにも感じますが‥(*^^*)
私も天を味方にするような生き方をして、父のように潔い最期を迎えたいと強く願うようになりました。
長々と読んで頂きありがとうございました!
ずっとずっと、先生に聴いて頂きたかったのでメッセージが送れてよかったです(*^^*)
これからも先生の記事を楽しみにしております。
(以上頂いたメッセージ)
Mさん、メッセージありがとうございました。
「天の采配」、そうですね。
お父様はそれによって、Mさんが知る最後の道を歩まれたのかもしれませんね。
どんな苦しさが、死の前に訪れるかは人それぞれです。
心優しく、何の罪もない方が、大きな苦痛症状を経験することがあります。
一方で、がんは全身に広がっていても、不思議と苦痛が少ない方もいます。
もちろん終末期になっても悪液質の程度が少ない場合もあります。
例えば乳がんは一般に他のがんより悪液質の頻度が高くないのですが、その中でもAさんは顕著な悪液質になってしまったけれども、Bさんはそうでもないという場合だってあります。
苦痛症状が少ない方は、本当に幸運だと思います。
それだけでも、人生において少し得をした、と言えるかもしれません。
また死を前にすると、身体だけではなく、心も苦しくなります。
これも一般的には、気持ちの整理がついていれば、そうではない場合よりも楽かもしれません(ただそれも身体のつらさが強ければ揺らいでしまったり、簡単ではありません)。
拝読して思ったのは、お父様はお気持ちの整理が、死へのご覚悟ができていたように感じました。
もちろんMさんやご家族の皆さんや、犬たちに見守られていたことも、安心につながったと思います。
どんな運命が訪れるかは人それぞれ。
だからこそ、理想論かもしれませんが、どんな事態にも柔軟に対応できる頭や、しかし必要時には揺るがない心が、とても重要なのではないかと思いますし、それこそお父様に天が授けた配剤であったのではないでしょうか。
私たちは誰しも、ある程度生きれば、逝った方から様々な影響を受け、受け続けていると思います。
身近にそのような方がいたMさんもまた配剤を与えられていると思いました。
誰もが、Mさんのお父様のように苦痛少なく逝けることを願い、またそのための支援策である症状緩和の治療の普及をまた願います。