東京五輪のエンブレムが中止になりましたね。



なぜあのエンブレムなの? というところから始まり、


なぜあんなに他の人の作った素材を持って来ちゃうの?(あの仕事で良いの?)


に驚き、


原作??? という幕引き。


新国立競技場問題もそうですが、東京五輪は問題続きですね。


何か「しがらみ」みたいなものを優先させて、「最良」ということを考えていなさそうな雰囲気が国民に見透かされているのではないかとも思ったり。


先日当ブログのある記事でも触れたような、複雑な力動を背景として、あるプロジェクトに「適材適所」と程遠い人選が為されてしまうこと、そんなことが伏流水としてあるのではないかなとつい考えてしまいますね。




経験した日常臨床の話から。



以前、ある50代女性の進行がんの患者さんが痛みを訴え、またうつ状態になりました。



患者さんは、近藤誠さんやその他医療否定本の熱心な読者でした。



病気に対しては無治療でしたが、苦しさが多数出て、「無治療ならば痛みが出ないはず。痛みが出るはずはないのにどうして・・?」と仰って耐えていました。



一方で、「痛みは身体が教えてくれるサイン」「苦しいが、薬はもっと怖い」「この本には~と書いてあり、薬は危険で有害だと言っている」「無治療だから痛くないはずなのに、おかしい」と仰り、症状を緩和する薬剤を勧めても、以前の情報の刷り込みから逃れることができず、苦痛がずっとあるままでした。


見かねて「本に書いてあることよりも、目の前の医療者を信じることからやってみるのはどうか」と提案しました。


その甲斐あって、一部の薬剤は飲んで下さり、症状も少々は緩和されたのですが、相当苦しくなって、つまり病状が悪化してからの症状緩和だったので、現状維持がやっとのところでした。


専門家としての意見としては、もっと早くから症状緩和薬を適切に使用してくれれば、多くの病悩が緩和されたのに・・と非常に残念な事例でした。ご本人の耐えた苦痛は相当なものでした。



同じような症状の50代の女性が、また別の機会に受診されました。

その方も薬は大嫌いで、絶対に飲みたくない、と仰っていました。

幸いだったのは、本からの変な情報を得ていなかったので、頑迷なまでに「薬は毒。放置すれば痛くない」などという刷り込みがなかったことと、ご主人が奥さま(患者さん)に「飲んでみたら?」と勧めてくださったことでした。

半信半疑で症状緩和の薬剤を飲み、その後痛みとうつ状態は劇的に改善され、「死にたいと言ったのがどうしてかと思うくらい」とにこにこ笑顔で受診されました。



何が2人をわけたのでしょうか?


もちろん前者の方も、提案する治療を行ってくれれば、後者の方と同じまで緩和できたと私は思っています。


ひとつ言えることは、誤った情報や、過度に医療や医師・薬剤を攻撃する”ヘイト本”とでも呼べるような本は、医療において最も大切な一つである、眼前の医療者とコミュニケーションをしっかり取って、納得した上で適切な加療を受けるという機会に影響をおよぼす可能性がある、ということです。


冷静に考えれば


「病院の医者は◯◯だからダメ」


「医師は金儲けばかり考えている」


「がん拠点病院の医者は××」


など、広すぎる主語は、そこにある多様性を無視し、レッテル貼りをする危険性があることに誰もが気が付くと思います。


実際そのような単純化されたストーリーが、耳目を惹きつけることを知っている人たちは、積極的に、時にヘイトのような言説を生産し続け、仮想の敵を構築し、争う意味が少ない対立構図をあおることで、自身の支持者(と敵)を広げ、結局争いの火種になります。


一部の、政治に関わる方たちが繰り返していることも、そのような終わりなき誹謗と、離合集散、修羅の道です。


重要なことは、そのような言論は敬して遠ざけ、話半分に聞き、本気にせず、目の前に関わっている人たちとまっとうな関係を構築することに尽きると思います。


結局は、ヘイト言説が面白がって消費されるからこそ、生産されます。書店に正確さに乏しい内容を書いた本(医療本も最近はこの傾向が強まっています)が大量に陳列されるのも、私たち自身にも全く責任がないわけではありません。


買う人がいるから、刷られるのです。


この間の記事に書いたような、「ウソ」だとか「殺される」だとか、そんなタイトルの本が出て来たら、ちゃんと吟味して読み、もちろんタイトルだけで反射的に購入しないということも、長期的に見ると良い効果を生むと思います。




五本木クリニック院長の桑満先生のブログに興味深い記事が載っていました。


近藤誠医師の「がん放置療法」は放置しましょう!!その2 エジプトのミイラはがん転移が少ない理由は発がん率が低かったから!!??


本当に臨床を行っていたら、がんは痛くない!!なんて発言はありえない


というそのものずばりのタイトルに下記の文章が記されています。


(以下引用)


近藤誠先生はがんの終末医療の問題を「痛み」だけに絞って考えているようですが、実際は疼痛のケアだけではなく、精神面のケアも重要なのです。死を迎えるにあたって不安になるのは当たり前ですし、食欲減退・吐き気・やる気がなくなる・体のむくみ・排尿障害などなど、様々な問題が発生してきます。さらにそれを見守る家族の精神面のサポートも並大抵の苦労ではありません。大学時代は放射線科勤務で研究室にほとんどこもりっきりだったので、実際に患者さんが臨終する場面に立ち会ったことがあったのか、はなはだ疑問を感じます。

現在もセカンドオピニオン外来のみの形態で開業されていますが、一度は在宅医療それも終末医療をご経験されれば「がん放置療法」「がんは痛くない」なんてありえない考え方をご披露することは控えるようになると考えます。


(以上引用)


同感です。


私は以前在宅医療をし、有料老人ホームにも診療に行っていましたから、確かに病院よりも苦痛が少なく穏やかな生活をしている進行がんの患者さんもいることはよく知っています。


しかし、無治療ならばつらくないとか一体何をどう見たらそうなのかと驚くばかりです。


ありえない話です。実際に最初からがんの治療を選択されなかった方でも、何人も、病気の進行とともに痛みやだるさ、食欲不振や吐き気などが出た方を私は知っています。


がんが広がれば、当然症状は出ます。治療する、しないにそれは関係ありません。適切な治療で、しかしそれは緩和することができます。


そして苦痛というのは単に痛みだけではありません。


身体の苦しみは少なくても、心は死の恐怖で占められている場合もある。


不安を押し殺して、「先生、大丈夫ですよ」と言う方がいる。


「この痛みは耐えるしかない」とうずく身体を抱えて生活している方もいる。


患者さん本人は気持ちの整理がついても、ご家族の気持ちがつらくて仕方ない場合もある。


がんの治療をしない、あるいは止めれば楽になるような単純なものならば、緩和ケアの専門家などいらないわけです。


モルヒネを投与すればあらゆる苦痛がきれいさっぱりとなくなるようなものならば、同じく緩和医療の専門家など要りません。


現場でまじめに医療をしている人間ならば誰でもわかっていることです。


苦痛を取り除くのはけして容易ではなく、患者さん・ご家族と医療者がよくコミュニケーションを取って、最善を探してゆく中に最良が見つかる、それが症状緩和の臨床です。


本当の臨床家ではない人が話し書く怪しい言説が流布するたびに、世の中は某エンブレム問題と類似して様々な力が働いて、流行り採用されるものが決まっている(ように見える)ことに思いをはせます。


引き続きしっかり監視していかねばならないことがたくさんありそうです。



それでは皆さん、また。
失礼します。