トヨタの元役員さんのオキシコドン問題が起こったのをきっかけに、様々な方がこれを話題にしています。


ただ拝読していると、それは少し違うのではないかというものもあります。


執筆者が医師の場合は、もちろん「がんの方の疼痛など適切な事例に適切に処方されることが増えてほしい」という思いで書かれているので、意は同じです。


ゆえに、総合的には同意見なのですが、細かいところは一専門家としてどうも気になるところが出てしまいます。


ボストン在住の大西睦子先生のご記事も、ちょっと気になるところがありました。


トヨタ役員逮捕「オキシコドン」報道に対する米国での反応


「日本は欧米の先進国に比べて医療用麻薬の使用が、極端に少ないのです。これは逆に言えば、日本は疼痛管理の面で法的にも医療制度としても非常に遅れていると言えるのです」

とあります。


本当に日本は非常に遅れているのでしょうか?


医療用麻薬治療の難しさは、必ずしも増やせば良いと言えないという点です。


昔ホスピスで働いている頃(10年前)、直腸がんの周囲への浸潤で、1日720mgの定時処方のモルヒネと、1回の頓用がモルヒネ錠10mgを12錠で使用している40歳の患者さんがいました。


彼はものすごく痛がり、頓用の回数も1日10回にも及ぶこともありました。


しかし、定時量を増やしても眠気だけ増えて痛みは変わらないのです。


他にも、他院から転院してきた患者さんで、他院での指示であるフェンタニル注(0.1mg/2ml)を1日75アンプルも使用して、ほとんど痛みが取れていなかった40代女性の膵がんの患者さんもいました。


前者は頓服も含めれば、内服モルヒネ換算で1日1000mg以上という量ですし、後者も1日750mgという量です。とても多い量です。


それでも彼らは痛みがあまり取れませんでした。


少し前は医療用麻薬の教育では、「痛みが取れる量が適量」と言われました。


しかしその理解で、まだまだ増やされたとしても、おそらく彼らは痛みが取れなかったと思います。


医療用麻薬の効きが必ずしも万全ではない、神経の痛みであったからです。


2015年現在、非常に技量ある神経ブロック医と働いている今となっては、あるいは鎮痛補助薬や医療用麻薬の変更の技術がさらに進んだ今となっては、上記のような例はまずないと私は断言できます。


おそらく今ならば、彼らが使用していた量より医療用麻薬はずっと少なく、しかももっと痛みは取れるはずです。


また取れない痛みに過大に増量し続けてゆくと、鎮痛耐性も形成されるということは、緩和医療学会の鎮痛治療のガイドラインにも記されている事実です。


すなわち大量の使用になっている方に限って、そもそも効きにくい痛みに対して大増量が必要になっている(のに効いていない)ケースや、鎮痛耐性が形成されて効かなくなっているケースが存在するのです。


そのようなケースがたくさんあれば、当然平均の医療用麻薬消費量も増えます。


けれども痛みがよく取れているか、というと取れていないケースが存在します。


むしろ以前何度かブログで事例を出してきたように、医療用麻薬だけを増やしてもダメなケースに、その他の手段を使う(併用する)ことで、痛みは軽減するし、かつ医療用麻薬も減量できるという事例がしばしばあるのです(※結果として、医療用麻薬の使う量は減っているのに、痛みはよく取れていることになります)。


ゆえに、「日本はまだまだだよね」という論拠として使われる医療用麻薬の年間消費量等をもって、”非常に遅れている”と私は言えないと思います。


もちろん日本は絶対量としては少ないです。


「我慢」が平常運転とも見えるような国民性も関係していると思います<最近の本当に痛ましい2事件、大分の放火と岩手の自殺も、「我慢」しないで言うのが当たり前という環境下であったのならば、もう少し何とかなったのではないかとも思います。無理ならば無理と言える環境が当たり前になってほしいです>。


もっと痛みに関して遠慮なく話し合って、適切に鎮痛薬が処方されなければいけないと私も思います。


しかし量そのものをもって、非常に遅れているというのはやや過大な表現だと思います。


むしろやたらに多い国は、「増やせば良い」「出せば良い」と安易に考えすぎている可能性があります。


不適切な過大使用でも、消費量が押し上がることにも注意が必要だと思います。


先生は


「実は私自身、ボストンで通院している歯科で以前、治療のあとの痛み止めとして処方されたことがあります。オキシコドンを内服後、激痛が見事に全くなくなりましたが、その後、異様に効きすぎて逆に頭もクラクラしてきました」


と書かれていますが、これこそ急性の、他にも十分な代わりの薬剤(例えばアセトアミノフェンや非ステロイド性の鎮痛薬)がある痛みに対して、”頭もクラクラするほどの”、すなわち痛みと吊り合わない量の医療用麻薬投与が為されている実例だと思います。


また


「悪しき現状はあるものの、慢性疼痛に苦しむ人々のために米国が法的や医療制度の面で挑戦し続けている面は評価してもよいのではないかと思います。そして逆に、そうした制度の整備が遅れていることを日本はよく認識し、充分な議論を経て対処していくべきだと思います」


と先生は米国の継続的挑戦を評価されていますが、こと医療用麻薬治療については、緩い規制が生み出した負の産物もまた大きいことを考えると、少なくともこの件に関してはアメリカを見習うことは避けたほうが良いと思います。


当のアメリカにも、以前の記事で触れたように


「日本では、麻薬及び抗精神薬取締法と医療保険システムの2つの規制によってオピオイドが社会に氾濫することがなく、オピオイド乱用・依存といった問題は未然に防ぐことができた。その一方、米国ではそのようなオピオイドに対する厳しい規制を受け入れることができなかったようで、安易なオピオイド処方が横行し、世界でも稀にみるオピオイドの氾濫した社会を生み出し、オピオイド乱用・依存といった深刻な問題を抱えるようになっていった」


という見方もあるのです。



医療の進歩に満足という言葉はありませんから、今も多くの医療者が日夜努力を続けています。


まだまだ向上の余地がある、というのは、いつでもどこでも当てはまるもので、終わりはありません。


一人ひとりの医療者にとっても、患者さんやご家族にとっても、今の日本の緩和ケアが各人の理想とするレベルから遅れている(まだ到達していない)という意味での「遅れている」というのはしばしば経験されるものかもしれません。多くの方が現状で満足しているわけではないでしょうし、私もより努力せねばと思っております。



ただWHO(世界保健機関)とWPCA(世界緩和ケア連合)が昨年出した、『グローバル・アトラス・オブ・パリアティブケア』においても、政策なども含めた緩和ケアの発達レベルにおいて、日本はグループ4bという世界最上レベルの20カ国のうちに入っていることもまた事実です。


『グローバル・アトラス・オブ・パリアティブケア』(英文。PDFがダウンロードされるのでクリック注意)




↑ 緑色の国がグループ4b。アフリカにも緑色が1国あります。ウガンダです。



↑ 20国の国名。


個々の患者さんで言えば、今も痛みに苦しむ方がたくさんおり、特にがんの患者さんに適切な医療用麻薬治療が行われてほしいと願います。

現場は常に不完全であり、臨床に携われば、満足というものはありません。

実際に、緩和ケアの従事者に、グローバルアトラスで日本の発達度はどうだったでしょうか、と尋ねると、3とか4のaとかそういう自己評価が多く、まさか4bだとは思っていないのです。皆、よりあまねく必要な方に緩和ケアが提供されることを願って働いています。


一方で、日本の緩和ケアの発達度は、他国と比較した時にけしてひどく遅れを取っているものではないのです。少なくとも、グローバルアトラスではもっとも発達している20カ国には選ばれています。世界的には、あくまで比較の問題ですが、恵まれている国の一つと言えそうです。


実際本邦においても有用な薬もいくつも使えるようになっており、法や制度の問題を改善するよりも、がんの痛みを我慢しないことや、(痛みに限らず)限られた時間の中できちんと患者と医療者が必要なことに関してのコミュニケーションを取ることの重要性をより周知・徹底すること、医療者にも継続的に正しい医療用麻薬の情報が供与されること、痛みが取れない時に患者は誰に相談したら良いのかも周知されること(例;大病院ならば、まず主治医、それで難しければ緩和ケアチーム)、そのようなことが解決策としては上位に来ると考えます。


少なくとも非常に医療用麻薬の消費量が少ないのは、(全世界と比較した際に相対的には)相当我慢強い、薬に頼りたくない、という文化的背景も影響しているものであり、疼痛緩和の発達度と完全にイコールではないでしょう。そして”制度が遅れているから”よりも、そのような国民性やものの考え方の影響を消費量が受けていることが大きいと思います。


必要以上に貶めることなく、卑下することもなく、過不足なく今の日本の状況が伝わること、そして大切なことは医療用麻薬に対する正しい理解がより広まることと、痛みを我慢せずしっかり患者と医療者が話し合い適切な対処が為されるという基本だと思います。





追伸


アメリカという国は本当に興味深いです。


また「規制緩和」あるいは「自由に委ねるべき」などと言えば、一見良さそうなことのように響きます。


ただ枠組みを決めて一定の規制をすることが、より社会にとって良い分野があることは、ある意味アメリカの実例にて反面的に学べるものでもあると私は思います。医療分野は、どうもそちらに属するものなのではないでしょうか。


映像作品では映画『シッコ』や、最近ですと『ブレイキング・バッド』(肺がん治療に化学療法4~6回投与<?>で数百万円、手術に至っては2000万円以上! また違法薬物の蔓延)、書籍では以前この記事で触れた『市場原理が医療を亡ぼす』(李啓充著)など、医療分野の規制が緩いことの大変さ・怖さがしみじみと伝わってきます。


銃の氾濫も似たようなものに感じます。


規制を緩和すれば良いかといえばそうではないし、もちろんガチガチの規制は良くはないでしょう。その間の、絶妙なバランスを取る時に、最も良い状況が現出されるのだろうと推測されます。