皆さん、こんにちは。大津です。


2件の記事を紹介します。


共同通信社より(病院名などは元記事では実名)。



【肺がんの診療ミス認定A県の病院に賠償命令】

A県B市のC病院で、2012年に死亡した同市の男性=当時(68)=の肺がんを医師が見落としたとして、遺族が病院側に計約5100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、B地裁は19日、診療ミスを認め、病院を運営する医療法人社団D会に計約4200万円の支払いを命じた。判決によると、男性は05年に肺に影が見つかってから11年まで経過観察を受けていたが、医師が必要な検査を勧めなかったため肺がんと分からず、別の病院で診断されたときには治療不可能な状態だった。男性は12年6月に死亡した。裁判長は判決理由で「肺がんの可能性が高いことを説明し、精密検査を受けるよう勧めるべき義務に違反した」と指摘した。D会は「判決文を見ていないのでコメントできない」としている。



もう一件は上越タウンジャーナル(元記事では病院実名。強調ブログ主)。



【食道がん治療2年5か月放置 E病院で医療事故】

E病院は2015年5月22日、同市の80代男性が同病院で食道がんと診断されたにもかかわらず、約2年5か月間治療が行われていなかったと発表した。食道がんは進行し、男性はこの医療事故が判明した今年3月から入院している。

同病院によると、男性は2012年10月、喉の痛みなどを訴え受診し、下咽頭がんと診断され、耳鼻咽喉科に入院した。その際、胃や食道などへの併発を調べるため内科で内視鏡検査を実施した結果、食道がんが併発していることが判明した。

しかし、内科医は主治医である耳鼻科医に検査の結果食道がんが見付かったとは伝えず、さらに電子カルテの誤入力により、通常行われる複数の内科医による検査結果の最終確認も行われなかった。

食道がんの治療が行われないまま、下咽頭がんの治療を経て男性は2か月後に退院。今年3月になって、下咽頭がんの経過観察のためにCT検査を受けた際、食道がんの治療が行われていないことが判明した。

男性の下咽頭がんは再発の恐れが低い状態となったが、食道がんは進行し、近くのリンパ節への転移もみられるといい、入院治療が続けられている。

病院は今年4月に男性とその家族に謝罪した。記者会見したF院長は「深くお詫びする。今後一層事故防止対策を強化し信頼を回復すべく努力する」と頭を下げ、電子カルテ誤入力防止のためのシステム改修などの再発防止策を説明した。



(引用終わり)



最初から適切な対応をしていれば、亡くならなくてすんだ、あるいは進行を防げた、という前提があるので、「診療ミス」での原告勝訴だったり、「医療事故」という表現だったりが使用されるわけです。


何度か取り上げている元慶應大学講師で、がんもどき説を唱えている近藤誠さんの理論だと、肺がんや食道がんのような非血液のがんは「治療しても必ず亡くなる本物のがん」と「放っておいても大丈夫ながんもどき」の2種類しかないので、最初の肺がんのような事例を聴いた時には、「いや、これは最初に治療しても必ず亡くなる本物のがんだったのです」と言うのでしょう。


皆さんお分かりのように、そんな話が通るわけがないのです。


治療の如何で経過が変わりうるがんがあることは、(例えば大腸がんの検診により大腸がん死亡率が低下したこと等から)もちろん医学的にも明らかですし、それだけではなくてこのように社会通念上、存在することが広く認められています。


それなのに珍妙な理論を、なぜか、識者と呼ばれる生物学者や文筆家、ある大学のお医者さんまで、公然と支持しました。


そして一部のメディアは、一方では「治療の遅れで敗訴」「治療の遅れが事故・ミス」という記事を出し、一方では「言論の自由」「面白い記事を提供する」という理由で、何の但し書きもなく、がんは「本物のがん」と「がんもどき」、だから”放置で良いんです”という記事を右から左へ流し、それに対する検証も何もありません。


つくづく世の中はカオス(混沌)です。そして誰も責任は取りません。


結果は自分が背負うことになります。


だからこそ、怪しいものを見極める目が、私たち一人ひとりに求められています。




消費税も上がり、紙媒体もつくづく売れない時代になると、売れる文章を書ける著者は重宝されます。しばしば”売れる”は「単純化」「善悪論」時々「陰謀論」と親しいです。


またある種の時代の閉塞感も、「ストンと腑に落ちた」「これこそ鮮やかな答え」とすっきりする言説を求めることにつながる側面もあるのかもしれません。


かつてヨミドクターの記事で、次のようなものを記しました。


“近藤誠さんたち”を生み続ける背景と対策


『近藤誠さんが流行るのは、近藤さんの作品の特色と、その力を借りて生きるために動く一部メディアの力があります。情報過多だからこそ、人は「わかりやすさ」へより引きつけられ、それが近藤さんや一部医師の極端な言説に向かわせる側面があるでしょう。

 また同じく情報が豊富であることは、逆に何を選択したら良いのかということを見失いがちにさせ、わかりにくい傾向があるがん医療においても不安や不信を形成しやすいものとも言えるでしょう。

(略)

背景が変わらぬ限り、今後も“第二・第三の近藤誠さん”が現れうるでしょう。この連載を続けてきたのは、その存在が生まれる背景を知り、それぞれが極論に対して耐性をつけることで、皆さんそれぞれの将来の選択や社会をより良くすることにつながると考えたからです』



医療にも地道な相互理解・思いやりが大切


『近藤さんに限らず「単純化」「善悪論」「陰謀論」の使い手はいますし、これからも同様に、メディアの力を借りて、複雑なことをわかったようにさせたり、「あの存在が悪いのだ」とささやく人が出て来るかもしれません。その誘いに屈しないことが重要であり続けるでしょう』



世の中が錯綜し、選択の苦悩が深まると同時に、運び手を変えて勢いを何度も何度も取り戻す「極論」「◯◯が良くなれば問題は一挙解決」「悪いのは☓☓だ」式の言説を冷静に受け流す方が増えることが、人対人のまっとうかつ穏当な現場を構築してゆくことにつながると感じています。



それでは皆さん、また。
失礼します。